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北海道の羆の現状 北海道野生動物研究所所長

農学博士 門崎 允昭         

 
 

私は 1970 年から主として北海道の羆 ( ひぐま )Ursus arctos ウルスス アルクトス の生態学・形態学・人との関わり・農作物果樹家畜の被害の実態について調査研究を行っているので、それを基に北海道の羆の歴史的経緯と現状についてご紹介する。

 北海道は面積が 7 万 8 千 km2( 390 q× 200 qの面積に相当)で、日本全土の 20% を占め、九州の約2倍ある。気候は冷温帯に属し、天然植生はトドマツ・エゾマツ主体の針広交混林である。最標高地は中央高地大雪山旭岳の 2,290m である。現在全道の 71.5% が森林地帯で、宅地農牧地など人の日常的生活地は 28.5% である。最近の人口は 557 万人( 2008 年)、人口密度は 67 人 /km2 である。

 羆は比較的冷涼な気候を好み、月輪熊 U.thibetanus ウルスス チベタヌス は比較的温暖な気候を好むから、わが国においては有史以来、羆は北海道にだけ、月輪熊は本州以南にだけ分布している。ただし、ヴュルム氷期 (7 万年前〜 1.2 万年前 ) 以前には本州以南にも羆が生息していたが、その後の温暖化で本州以南の羆は絶滅したと私は看 ( み ) ている。

 北海道の開発は 1869 年に、政府が開拓使を設置したときから始まったが、それ以前は先住民であるアイヌが約 1 万 2 千人( 1854 年)と和人が約 5 万人だけが住む土地で、全道の約 98 %は未開地で、ほぼその全域が羆の生息地(羆が長期に続けて使用している土地)であった。当時の生息数は私が推計した結果では、 4 千 5 百頭〜 5 千 5 百である。近年の羆の生息域は全道面積の 50 %、生息数は私の推算では 1900 頭〜 2300 頭である。

北海道での羆の捕獲統計は 1873 年から昨年度 (2009) まで、 1889 〜 1900 年を除く 125 年間分が有り、年平均捕獲頭数は 409 頭である。如何に多くの羆が各種被害の防止の名の基に殺されているかお分かりになろう。また「世界自然遺産地の知床」でも未だに毎年 20 〜 30 頭もの羆が殺されている実態は、日本の自然保護行政が如何に貧弱であるかお分かりになろう。

羆による人畜の被害を 1970 年以降について見ると、 1970 年は馬の死傷 11 頭、牛の死傷 69 頭、人の事故は 3 件発生し死傷者 5 名である。ここ 20 年間の牛馬の被害は年数頭、多い年で十数頭である。

1970 年〜 2010 年 8 月末までの 41 年間の人身事件は猟師が逆襲された事件 29 件、一般人が襲われた事件野 44 件で、この内死亡が 15 件、生還が 29 件である。死亡者は皆素手で対抗しているのに対し、生還者は皆刃物などで羆に積極的に反撃しているのが特徴である。これによって、熊 ( 羆 ) に襲われての「死んだ振り」が如何に誤りであるかお分かりになろう。熊 ( 羆 ) と不意に出会っての事故防止には「鈴や笛」が有効だが、極めて稀に音を立ていようがいまいが、熊 ( 羆 ) が積極的に人に近づき襲ってくることがある。いずれにしても、熊 ( 羆 ) に遭遇する可能性がある場所に入る場合は「笛と鉈の」携帯は必須である。 

私の提言だが、この大地は総ての生き物の共有物であることを自覚し、熊は殺さない。熊の棲み場に入る場合は「笛と鉈の」を携帯する。里での人的・経済的被害の防止と言う観点から人との棲み分けを図る。それには野生動物が里へ出入りする場所は通常決まっているから、そのような箇所に有刺鉄線などの金網や柵を張り、侵入の防止を図る。殺すのを止めたとしても、山野が熊で埋め尽くされるようなことが生じないことは江戸期以前の史料を見れば分かる。熊の駆除・狩猟を止め得て、初めて我が国も本物の自然保護が確立し得たと公言し得よう。私はその日の到来を強く望む。