ヒグマによる人身事件の概要一覧(1970年〜2000年12月)  
 
事件No. 発生年月日 発生地 被害者の行動  被害者の性別年齢 被害 加害グマ 加害原因 人身の食痕の有無
1   70.7.25〜27 カムイエクウチカウシ山 遊山(登山) 男18,21,23歳 3名死亡,2名生還 雌2歳6ヵ月齢 排除 食痕有
2   70.7.27 士別市 山林作業(下草刈) 男75歳 1名負傷 雄3歳6ヵ月 排除(遭遇)
3   70.12.5 八雲町 狩猟行為(深追) 男49歳 1名死亡 雄(8歳) 排除
4   71.11.4 滝上町 狩猟 男68歳 1名死亡 雄(10歳) 排除 食痕有
5   72.4.6 美深町 狩猟 男41歳 1名負傷 雄4〜5歳 排除
6   73.5.2 当別町 狩猟 男55歳 1名負傷 雄成獣 排除
7   73.5.6 木古内町 遊山(山菜採り) 男50歳 1名死亡 雄「若熊」 排除
8   73.9.17 厚沢部町 山林作業(筋刈) 男45歳 1名死亡 母獣 食害 食痕有
9   74.5.3 上ノ国町 狩猟 男44歳 1名負傷 雌6歳 排除
10   74.8.15 留辺蘂町 狩猟 男46歳 1名負傷 「2歳」 排除
11   74.11.11 斜里町 狩猟 男37歳 1名死亡 雄14〜16歳 排除
12   75.4.8 長万部町 山林作業(毎木調査) 男53歳 1名負傷 (若熊)穴熊 排除
13   75.7.1 浦幌町 山林作業(下草刈) 女40歳 1名負傷 「2歳」 排除(遭遇)
14   76.6.4 千歳市 山林作業(伐採) 男56歳 1名負傷 雌2歳4ヵ月齢 食害
15   76.6.5 千歳市 遊山(山菜採り) 男53歳 1名負傷   食害
16   76.6.9 千歳市 遊山(山菜採り) 男58,54歳 2名死亡 同一個体 食害 1名に食痕有
  男26歳 1名負傷  
17   76.12.2 下川町 山林作業(除伐) 男54歳 1名死亡 母獣13歳穴熊 排除
18   77.3.31 三笠市 山林作業(毎木調査) 男45歳 1名負傷 雄「若熊」 排除
19   77.4.7 滝上町 山林作業(除伐) 男39歳 1名負傷 母獣穴熊 排除
20   77.5.27 大成町 遊山(山菜採り) 男55歳 1名死亡 雌4歳8ヵ月齢 食害 食痕有
21   77.9.24 大成町 遊山(川魚釣り) 男36歳 1名死亡 同一個体 食害 食痕有
22   79.4.26 枝幸町 狩猟 男69歳 1名負傷 母獣穴熊 排除
23   79.6.14 富良野市 熊が直接原因ではない  
24   79.9.28 江差町 山林作業(下草刈) 男79歳 1名負傷 「2歳」 排除
25   80.2.25 佐呂間町 山林作業(除伐) 男50歳 1名負傷 母熊穴熊 排除
26   80.10.27 羅臼町 狩猟 男57歳 1名負傷 母獣 排除
27   81.5.15 穂別町 遊山(山菜採り) 男45歳 1名負傷 母獣 排除(遭遇)
28   81.8.1 えりも町 狩猟 男38歳 1名負傷 母獣 排除
29   83.5.19 置戸町 山林作業(測量) 男34歳 1名負傷 雄「若熊」 排除(遭遇)
30   83.6.4 島牧村 遊山(山菜採り) 男48歳 1名負傷 「2歳」 戯れ
31   83.7.11 八雲町 山林作業(土木工事) 男37歳 1名負傷 (2歳) [自損]
32   84.5.5 滝上町 熊が直接原因ではない  
33   84.8.3 広尾町 山林作業(調査) 男49歳 1名負傷 母獣 排除(遭遇)
34   85.4.22 羅臼町 狩猟 男62歳 1名死亡 不明 排除
35   85.7.16 福島町 畑作 女59歳 1名負傷 「2歳5ヵ月」 戯れ
36   86.8.3 斜里町 巡視(漁場) 男59歳 1名負傷 母獣 排除(遭遇)
37   89.11.15 広尾町 狩猟 男51歳 1名負傷 母獣 排除
38   89.11.24 弟子屈町 狩猟 男40歳 1名負傷 母獣 排除
39   90.3.7 芦別市 山林作業(毎木調査) 男52歳 1名負傷 母子熊穴熊 [自損]
40   90.9.21 森町 遊山(キノコ採り) 男75歳 1名死亡 雄2歳8ヵ月 食害 食痕有
41   90.10.21 上ノ国町 山仕事(五葉松採り) 男85歳 1名死亡 「2歳」 排除
42   90.10.30 紋別市 狩猟 男54歳 1名負傷 母獣 排除
43   91.5.12 上ノ国町 遊山(山菜採り) 男58歳 1名負傷 「2歳」 戯れ
44   92.5.12 上ノ国町 遊山(山菜採り) 男62歳 1名負傷 若熊 [自損]
45   92.11.17 遠軽町 山林作業(除伐) 男54歳 1名負傷 「若熊」 排除(遭遇)
46   93.10.2 函館市 狩猟 男77歳 1名負傷 雄(14歳) 排除
47   95.2.13 紋別市 山林作業(除伐) 男52歳 1名負傷 雌「若熊」穴熊 排除
48   96.6.2 紋別市 遊山(山菜採り) 男60歳 1名負傷 母獣 排除(遭遇)
49   97.8.24 滝上町 狩猟 男66歳 1名負傷 雄(7歳) 排除
50   98.11.23 白糠町 狩猟 男44歳 1名負傷 雄(7〜8歳) 排除
51   98.11.23 新得町 狩猟 男51歳 1名負傷 雌(成獣) 排除
52   99.5.1 木古内町 遊山(川魚釣り) 男47歳 1名死亡 雄2歳3ヵ月 食害 食痕有
53   99.5.11 木古内町 遊山(山菜採り) 女30,50歳 2名負傷 同一個体 排除
54   99.10.10 登別市 遊山(山菜採り) 男31歳 1名負傷 若熊 排除(遭遇)
55   99.10.31 音別町 狩猟 男64歳 1名負傷 雄(3歳) 排除
56   99.12.19 紋別市 狩猟 男58歳 1名負傷 雄(6歳) 排除
57   00.4.23 上磯町カミイソチョウ ユウザン山菜サンサイり) オトコ68サイ 生還セイカン ワカグマ 戯れ
58   00.6.4 メグヤマチョウ 山林作業 男75歳 1メイ負傷フショウ軽傷ケイショウ 母獣 排除(遭遇)
59   00.11.1 白糠町シラヌカチョウ 狩猟(鹿シカ 男60歳 1名負傷 母獣 排除ハイジョ
60   00.11.12 平取町ビラトリチョウ 狩猟(鹿シカ オトコ73サイ 1メイ死亡シボウ 不明フメイ 排除ハイジョ
1970年1月1日以来2000年12月28日現在まで、60件の事件が発生したことになっているが、
この内5件(事件Nos. 23,31,32,39,44)は実際には熊は人を襲っておらず自損事故である。
したがって、熊による人身事故は一般人の事故(33件)、猟師の事故(22件)の、総計55件である。
一般人の事故33件の熊が襲った原因は「戯れ」4件(Nos.30,35,43,57)。
「食害」8件(Nos. 8,14,15,16,20,21,40,52)。
「排除」21件(1,2,7,12,13,17,18,19,24,25,27,29,33,36,41,45,47,48,53,54,58)。
排除の内遭遇(不意の出会い)によるもの10件(事件Nos. 2,13,27,29,33,36,45,48,54,58)である。
一般人の死亡事故は10件で、この中、武器不携帯8件(1,8,16,20,21,40,41,52)、武器携帯2件(7「携帯の有無が不明である」,17)。
この内被害者の身体に熊に喰われた痕があるもの7件(事件Nos. 2,4,8,20,21,40,52)である。
生還した事件は23件(2,12,13,14,15,18,19,24,25,27,29,30,33,35,36,43,45,47,48,53,54,57,58)である。
この中武器携帯9件(2,12,18,24,27,43,48,57,58)、武器不携帯14件(3,14,15,19,25,29,30,33,35,36,45,47,53,54)である。
また、熊が積極的に襲ってきた事故は11件(1,14,15,18,24,30,43,48,53,57,58)、被害者が熊を見て逃げて襲われた事故9件(2,13,27,29,33,35,36,45,54)である。
穴熊とは冬ごもり中の熊のこと。  
若熊とは2〜3歳の熊のこと。  
母獣とは子を連れた母熊のこと。  
 
 
 
ヒグマによる人身事故を防ぐためにも事故の具体例をご紹介します。  
 
 一般人がヒグマに襲われてその熊を撃退した事例 その1  
以下の内容はすべて私の調査結果に基づくものである  
 
 1,襲い掛かってきた熊を手鎌で叩き、さらに鉈で叩き脅して撃退する。  
事件No.2  一九七〇年七月二十七日士別市での事例  
武山藤吉さん七十五歳が一人で植裁二年のカラマツ林の下草刈をしていた午後四時頃、突然四〇bほど先に一頭の熊(雄三歳六ヵ月齢)が現れ、武山さんには目もくれず笹原に頭を突込みながら自分の方に進んできたので、二〇bほど走って逃げたところで、つまずき前のめりに転び、起き上がろうとした途端、左臀部を囓り左肩に爪を掛けたが、起き上がる動作をしていたので熊の攻撃から逃れた。振り返ると、熊は四つん這いで口を閉じたまま鼻を突き出して来たので、手に持っていた草刈り鎌(刃渡り二四a、重さ五百c)で熊の頭を思い切り叩きつけた。その瞬間鎌は武山さんの手から外れ、熊は頭に鎌を付けたまま、地面に激しく頭を打ち付けながら後退した。直ぐに鎌が熊の頭から外れたが、今度は熊はあたかも猫が鼠を狙うように、前足をかがめ顔を地面につけるようにして武山さんの方を見ていたが、熊と目が合った瞬間、熊は飛ぶように突進してきた。両者は直径二〇aほどのカラマツを挟んで睨み合いになったが、武山さんは腰に鉈を着けていることを思い出し、全身に力が湧いて来るような気がした。鉈でカラマツごしに熊を叩きつけようとしたが、何度か空振りしたが、そのうち熊の鼻付近を叩いたような気がした。すると熊は急に向きを変え、四bほど離れ、口を幾度も開閉しなおも武山氏を睨むように見ていたが、氏が大声で「掛かって来るなら来い」と鉈を振り上げて熊を怒鳴りつけると、熊は幾度も立ち上がったりしたが、その中、急に飛ぶように退行し逃げ去った。襲った原因は遭遇による不快感から、その場から人を「排除」するためである。なお、鎌の刃先は一aほど折れ、殺獲後に調べたら刃先が頭蓋に刺り残っていた。
 
 2, 襲い掛かってきた熊をスコップを振り回し追い払う   
事件No.12 一九七五年四月八日長万部町での営林署作業員の事例  
成田長一さん五十三歳は仲間二人と午前十時頃国縫川上流の稲穂嶺の尾根で毎木調査中に、不覚に熊穴の入口付近に腰まで抜かり、直ちに這い上がって斜面を登り出したところ、その穴から一頭の熊(二、三歳の若熊である)が飛び出て来て、背後から襲い掛かり、まず右下腿後部を長靴の上から噛みついた。成田さんは咄嗟に持っていた角形長柄スコップを振り回して対抗したら、熊は次に右手背部を軍手の上から囓ったが、さらにスコップを振り回して防戦したら、熊は斜面下方に逃走した。熊が人を襲った原因は越冬穴を確保し続けるために、不意に現れた人間をその場から「排除」するためである。
 
 3, 襲い掛かってきた熊を大声で撃退する。  
事件No.15 一九七六年六月五日千歳市の事例  
風不死岳山麓でタケノコ「根曲がり竹」採り、帰ろうとしていた檜山昌喜さん五十三歳は九時半頃、突然直ぐ側の藪でガサガサ音がするので振り向いた途端、直ぐ側に(三bほど先に)一頭の熊(二歳四ヵ月齢の雌)が、猫が鼠を狙うように頭を下げ這うような格好で睨んでいた。重いリックを外し後ずさりしようとした途端、藪に足を取られ転んだ。その途端熊が左足に噛みついてきた。そこで右足で熊の顔を蹴飛ばしたら、咬んでいた左足を離し、今度は右足大腿部を爪で突き刺しつつ押さえ込んで来た。この騒ぎに義弟の片野正さん四十六歳が気づき、大声で熊を怒りつけたところ、熊は檜山さんから離れた。さらに二人で熊を「大声を張り上げて脅しつけた」ところ熊は藪に入ったので下山した。襲った原因はその四日後に同所近くで同一熊による「人の食害事件」が発生しているので、食害ないし排除(その場からの)である。
 
 4, 襲い掛かってきた熊を手斧の嶺で叩き追い払う   
事件No.18 一九七七年三月三十一日三笠市での営林署作業員の事例  
鶴谷覚さん四十五歳は仲間三人と午前の毎木調査を終え昼食中の正午過ぎに、突然七bほど下に一頭の熊(雄の若熊である)が出、樹の根本に座り込み、二十分ほどこちらを見ていたが、ほどなく斜面下え姿を隠したので、熊が下りた反対方向に下山しかけたら、その斜め方向から熊が追ってきた。驚いた四人は沢目がけて走り下りたが、その途中で鶴谷氏は転んで一回転しあぐらをかく姿勢で起き上がろうとしたら、目の前にその熊おり、突然右足を長靴の上から咬んだ。「痛い」と叫び右足を退くと今度は左足を咬んだ。鶴谷さんが「鉞くれ」を叫んだら、近くにいた同僚の浜本氏が鉞を鶴谷さんに投げ渡した。鶴谷さんはそれを拾い熊の頭を鉞のみねの部分で一回叩いたら熊が囓るのを止め離れた。鶴谷さんは立ち上がり熊としばらく(五分間ぐらい)睨み合いをしたすえ、熊が斜面下方に立ち去った。襲った原因は食物が目当で、それを持っている人間を「排除」し食物を入手するためである。
 
 5, 襲い掛かった熊を第三者が大声と大鎌で脅して撃退する。  
事件No.24 一九七九年九月二十八日江差町の事例  
山吹茂平さん七十九歳は正午過ぎ、娘の工藤悦子さん五十二歳と植裁五十年の杉林で下草刈を中断して昼飯を食べていたら、突然ガサガサという音と共に一頭の熊(山吹さんによると二、三歳の小熊だという)が山吹さんの側に出現、背に爪を掛けた(山吹さんは難聴で熊に全く気づかなかった)。悦子さんが驚いて、柄の長さ五尺(一・五b)の鉈鎌で熊を叩きつけようと大声を立てたら、熊は山吹さんから離れ藪に消えた。襲った原因は弁当目当てで、食べている者を排除して弁当を取ろうとしたものである。
 
 6, 襲い掛かってきた熊を包丁で刺し、さらに大声で脅して撃退する。  
事件No.27 一九八一年五月十五日穂別町の事例  
穂別の通称石油の沢で、アイヌネギを採っていた隈井亨さん四十五歳は十時二十分頃、沢岸の斜面上方三〇b付近に三ヵ月齢の小熊一頭と母熊を見つけ、驚いて沢下に逃げたら、母熊が脱兎の如く追って来て、地面に頭をつける格好で隈井さんを威嚇し始めた(夢中だったので熊との距離は覚えていないという)。隈井氏は刃渡り二五aほどの肉切り包丁を右手に構え、襲って来たら目を突いてやろうと対峙した。まもなく熊は立ち上がりざま襲い掛かってきて、隈井さんは倒され一瞬気が遠くなりかけたが、直ぐ気を取り戻し、熊を払い除けようと包丁を振り回したら、包丁が熊の口の中に「ガクッ」という音がして刺さり、その瞬間熊が激しく頭を動かしたら包丁が熊の口から外れた。途端に熊は隈井さんから離れ、口から唾と共に血を吐くのが見えた。隈井さんが大声で熊を威嚇すると、斜面を一目散に駆け上がり姿を消した。襲った原因は子を保護するために、その場から人を「排除」するためである。なお、包丁の刃先は二aほど折れて欠けていた。
         
 7, 襲い掛かってきた熊を石で叩き撃退する   
事件No.35 一九八五年七月十六日福島町の事例  
十五時三十分頃佐藤むめ子さん五十九歳は、白符駅近くの畑に向かった。その途中笹藪からガサガサ物音がしたので振り返ると、その笹藪に一頭の熊(二歳五ヵ月齢の雌)が立ち上がって自分を見ているのに気づき、今来た道を大声で「熊だー」と叫びながら走って戻りながら、後ろを振り向くと、熊が猫がじゃれるような姿でピョンピョン跳び跳ねながら追って来て、直ぐに追いつかれてしまった。思わず熊の方を向いた状態で道路に座り込んでしまった。熊が右腰に齧り付いたが、厚着していて歯が肌に達しなかったが、今度は右足の踝下を長靴の上から咬み、一・八bほど引きずられた。熊に向かって「助けて」と叫び、気が着いたら拳大の石が近くにあったので、それを掴み、それで熊の顔を叩いた。その途端自分は少し気を失ったようで、気づいたら熊がいなかった。熊が人を襲った原因は「戯れ」である。
 
 8, 襲い掛かってきた熊を鉈で叩き、さらに投石して撃退する  
事件No.43 一九九一年五月十二日上ノ国町の事例  
小田良平さん五十八歳が蕗採りに「磯石沢」に入り、九時半頃何か下流で物音がするので、見ると熊が一頭いるのに気づき立ち止まると、その熊(挙動から二、三歳の若熊である)はどんどん近づいて来て、小田さんの五bまで近づいた。 熊は立ち上がりざま右手で小田さんの左大腿部を攻撃してきたので、それを避けようとして後ずさりした途端俯せに小田さんは転んでしまった。その瞬間熊が背中に覆い被さるようにして背中と臀部を爪か歯で攻撃してきた。氏は咄嗟に左腰に付けていた刃渡り二〇aの鉈を抜き、熊の顔面を四、五回叩いたら、熊は小田さんから離れ、後ずさりした。しかし、再度熊が寄ってきたので、、石を四、五回投げたらその一つが熊に当たったようで、熊が怯んだように見えたので、小田さんは後ずさりしながら熊から離れ下山した。襲った原因は「戯れ」である。
 
 9, 襲い掛かってきた熊を、同僚が呼子で追い払う   
事件No.47 一九九五年二月十三日紋別営林署作業員の事例  
山本豊造さん五十二歳は腰に熊除け鈴を着け仲間六人と除伐中、不覚に熊穴の入口一・五bにある柳を伐裁した瞬間、雪中の熊穴から熊(雌、二、三歳の若熊である)が一頭飛び出てきた。逃げようとした瞬間俯せに転び鉈鎌(柄長一・二b、刃渡り二六a、重さ一・六`)を手放すと同時に熊が体背に襲い掛かってきた。あちこち咬まれ引っ掻かれながらも素手で熊に対抗しながら、叫び声を上げたらしく、その場から約一九b離れた地点にいた竹中賢さん五十一歳が事の異常に気づき、ホイッスル(呼子)を吹いた瞬間、熊は山本さんか
ら離れ斜面下方に逃げた。熊が人を襲った原因は越冬穴を確保し続けるために、不意に現れた人間をその場から「排除」するためである。  
 
 
熊の撃退例 その2  
 
 熊に襲われながら、生還した人達の熊への具体的な対応と防戦を見てみよう。  
 
 事件No.13、(浦幌町、一九七五年七月一日)熊を見て逃げる途中転んだら、熊が襲い掛かって来て、足を爪と歯で攻撃してきたが、これに気付いた同僚数名が大声で騒ぎ立てたら、熊が立ち去った。
 事件No.14、(千歳市、一九七六年六月四日)熊(雌二歳)に組み伏されている同僚の叫び声を聞き、長さ五尺の金テコ持参で、その場に行くと熊は藪に逃げ込んだが、再度熊が出て来て襲うそぶりなので、金テコで脅しつつ、ブルトーザーに戻り、エンジン駆けたら、熊はその音に驚き藪に立ち去った。
 事件No.19、(滝上町、一九七七年四月七日)越冬穴から熊(母熊)が飛び出て来たのを見て、逃げる途中転んだら、熊が首や肘に囓りついてきた。それを振り切ろうともがいている中に、右手が熊の口腔に入ったら熊は突然離れ唸りながら、幾度も穴の方を振り返りながら(穴には新生子が二頭いた)立ち去った。母熊の子を思う心情は如何ほどか。
 事件No.25、(佐呂間町、一九八〇年二月二十五日)越冬穴から熊(母熊)が飛び出て来たのを見て、逃げる途中転んだら、熊が額や手に囓りついてきたので、大声で「助けてくれ」と叫んだ。これに気付いた同僚達数名が呼笛や大声で騒ぎ立てたら、熊は人から離れ、穴に戻る動作を示した後(穴には一歳過ぎの子が二頭いた)、斜面を駆け下り立ち去った。母熊の子を思う心情は如何ほどか。
 事件No.29、(置戸町、一九八三年五月十九日)熊を見て逃げたら、熊(若熊)が襲い掛って来て俯せに倒され、爪で引っ掻かれたが、もがきながら大声を立てたら、三十bほど離れた林道にいた同僚がこれに気づき、同僚も大声を立てたら、熊は離れ立ち去った。
 事件No.30、(島牧村、一九八三年六月四日) 突然目の前に一頭の熊(二歳)が、藪から出て来て咄嗟に襲い掛かって来たので、素手でもがき抵抗し、手が熊の口中に入ったり、熊を足で蹴飛ばしたりしている中、熊もろとも斜面を七、八b転げてしまい、その間に熊は離れ立ち去った。
 事件No.33、(広尾町、一九八四年八月三十日)二頭の当歳子を連れた熊(母熊)を見て、逃げる途中転んだら、母熊が襲い掛かってきた。足を噛まれながらも、素手でもがいたら、熊が離れ藪に去った。
 事件No.36、(斜里町、一九八六年八月三十日)強風に逆らい下を向いて歩き、顔を上げた途端目の前に、二頭の当歳子を連れた母熊がいたので、咄嗟に二、三歩後退したら、熊が脱兎のごとく走り寄り、すれ違いざま腕を引っ掻き通り過ぎた。そこで走って逃げたら、熊が追って来て、五bまで近づいてきたが、熊を脅すべく、細引き紐を振り回しながら大声を立てると、熊は立ち去った。
 事件No.45、(遠軽、一九九二年十一月十七日)田丸朗郎氏(五十四歳)が、熊(若熊)を見て逃げる途中転んだら、熊が追ってきて襲い掛かり、手を噛まれたが、声をたてもがいていたら、同僚が気づき笛を吹いたら、熊は離れ立ち去った。
 事件No.48、(紋別市、一九九六年六月二日)細川傳ツトウさん(六十歳)は山菜採りに行き、午前四時半頃林道の曲がり角で樹に登っている当歳熊二頭を挟む状態で母熊と十数bの距離で遭遇し、瞬時にその母熊に襲われ抱き付かれ、共に斜面を転げ落ち地面に組み伏されて身体のあちこちを噛まれながらも、刃渡り二十五a、柄長十七aほどの剪定鋸で反撃、熊の口中をそれで刺したら、熊が離れ立ち去った。
 
 
 つぎの事例は非常に残念な事件で、全員生還しえる機会があったにも拘わらず、熊を甘く見た結果三名が熊に襲われ落命した事例である。
 
一九七〇年七月日高山脈での事例、学生五人中三人殺され二人生還  (事件No.1)  
七月二十五日午後四時三十分頃、札内川九ノ沢南カールで夕食を終えた竹末君がテントから二五bほど先に一頭の熊(雌二歳六ヵ月齢)を見つけた。その熊は次第にテントに接近し、テントに六、七bまで近づき、そこにあるザックをあばき、食料を食いだした。熊の隙を見てザックを全部テントに入れた。焚火をしたりラジオの音量を上げたりしたら熊は立ち去った。しかし夜九時頃熊がテントに来て拳大の穴をあけたが、まもなく熊はいなくなった。翌二十六日午前四時半頃熊がテントに来てテントを揺すり始めた。五分間ほど熊と人がテントの引っ張り合いをしていたが、全員熊と反対側のテントの端を上げ抜けだし、四〇〜五〇b高みへと避難し、振り返ると熊がテントを倒し、中のザックを暴いていた。熊が立ち去った後、ザックやテントを回収し、カムイエクウチカウシ北の一八八〇bの瘤で午後四時半頃夕食を終え寝る準備をしていたところ、また同じ熊がテントに向かって来た。全員テントから離れ熊の様子を一時間半ほど監視していたが、熊がテントから離れないので、テントを放棄し、八ノ沢カール目がけて下り出した。 稜線から六〇〜七〇b 下りた時、滝君の後方一〇b付近に熊がいるのに気づき、全員一斉に駆け下った。滝君が横に逸れると、熊はそれに気づかず、河原君を襲った。河原君か這松の中から出て、「畜生」と叫びながらカールへと下って行った。滝・竹末・西井の三君は岩塊堆積地でその夜をすごした。興梠君はカールに下る途中でまた同一熊に遭遇、寄って来たので一五a大の石を熊目がけて投げつけたら熊に命中し熊はしばらく睨んでいたが立ち去った。同君は翌二十七日の午後三時頃まで日記を付けており、その後熊に襲われ死亡した。滝・竹末・西井の三君は二十七日午前八時頃、竹末・滝・西井の順で下り出したが、十五分ほどして竹末君の下方二、三bに熊が出現、一瞬身を伏せたが、熊の唸り声と共に竹末君が立ち上がり、熊を押しのけ、カールの方へ熊に追われ走り去った。滝・西井の両君のみ生還した。竹末君の遺体は昨夜過ごした岩場の下方の涸沢のガレ場で、その北斜下方一〇〇bのガレ場で河原君の、さらに三〇〇b下方の涸沢で興梠君の遺体が発見された。襲った原因は食物が入っているザックを熊が一度自分の物(所有物)としたにも拘わらず、取りかえされたために、さらにそれを確保するために邪魔な人間を「排除」するために執拗に襲ったものである。
 
 
一般人がヒグマに襲われて死亡した事例  
 
 事件No. 8 厚沢部町の事件  
一九七三年九月十七日、営林署作業員の糸畑幸雄さん四十五歳は同僚五名と、刈払機で造林地の笹の筋刈中の、午前十一時半頃八ヵ月齢の子一頭を連れた母熊に襲われ、そこから四〇bほど離れた雨裂に引きずり込まれ死亡していた。地下足袋以外衣服が破がされ全裸に近い状態であった。鉈は携帯しておらず素手で熊に対抗したらしい。
熊が人を襲った初期原因は子を保護するためにその場から人を「排除」するためと考えられるが、倒した人を熊が安心できる雨裂に移動させていることから、襲っている途中で人を食物と見なしたことは間違いない。
 事件No.16 千歳市の事件  
一九七六年六月九日、支笏湖の風不死岳山麓に笹竹の子採りに入った相馬春男さん五十八歳と高橋朝雄さん五十四歳が、熊(二歳五ヵ月齢)に襲われ殺され足の筋肉部を喰われた。両名とも刃物は全く持参していない。熊が人を襲った原因は「食害、喰うため」である。
 事件No.17 下川町の事件  
一九七六年十二月二日、営林署作業員の鷲見秀松さん五十四歳が、不覚にも熊の越冬穴上の樹を除伐した途端、一頭の熊が雪下から飛び出し襲い掛かってきた。氏は刃渡り二八a、 柄長一二〇a、重さ一・六`の鉈鎌で反撃したが、熊に抱きつかれ致命傷を受け死亡した。熊は母熊で、後で八ヵ月齢の二子(雄)が穴に潜んでいるのが見つかった。
襲った原因は子の保護と越冬穴の保持のために、人をその場から「排除」するためである。  
 事件No.21 大成町の事件  
一九七七年九月二十四日、 大成町管内、小川に単独で川魚釣りに入った佐藤正市さん三十六歳が熊(雌四歳八ヵ月齢)に襲われ殺された。遺体はその熊が安心できる窪地まで二〇数bm引きずられ、さらに遺体には付近の丈の長い笹(一〜一・三b)やシダ類が顔面から膝までかけてあった。刃物は持参していない。熊が人を襲った原因は「食害、喰うため」である。
 事件No.40 森町の事件  
一九九〇年九月二十一日、森町管内、鳥崎川上流のカラマツ林に単独でキノコ採りに入った安谷内正義さん七十五歳が熊(雄二歳八ヵ月齢)に襲われ殺された。遺体は熊が好む環境、すなわち空き地があって、しかもその周囲が草木で囲まれていて外部から内側が見透かせないような場所に引きずり込まれ、筋肉部が喰われていたことから原因は「食害、喰うため」である。刃物は持参していない。
 事件No.52 木古内町の事件  
一九九九年五月十日、 木古内町管内、木古内川支流の「トンガリ沢」に単独で渓流釣りに入った大谷津隆房さん四十七歳が熊(雄二歳三ヵ月齢)に襲われ殺された。遺体はその熊が河岸上の高みの窪地に潜み監視できる川岸まで引きずられていた。筋肉部が熊に喰われていた。刃物は持参していない。熊が人を襲った原因は「食害、喰うため」である。
2000ネンこったヒグマによる人身事件の顛末
 事件No.57 若グマを、樹に登り切り取った枝で撃退する  
2000年4月23日、函館市末広町の、佐々木幸吉さん(68歳、元営林署員)が、上磯町の茂辺地市街から約9km奥の戸田川林道に入り車を止め、コゴミを探しに入林した昼の12:30頃、15mほど先に動く黒い塊が見え熊だと気づき、付近の手掛かりのあるスギの樹(直径27-28cm)に地面から7-8m登った。熊は佐々木さんには気づかずに山菜を物色したり、古タイヤで遊んでいたが、13:30頃佐々木さんが林道を来る男女2人に気づき(佐々木さんからは約40m離れていた)、熊いるぞと放声したら、その男女は逃げたが、熊が木の上の佐々木さんに気づき、樹にゆっくり近づき、下から見上げたかと思うと、樹に登ってきた。佐々木さんは腰につけていた鉈で長さ約1.5m 太さ3cm弱の枝を切り取り槍のようにして身構え、足下まで登って来た熊の顔をつついて反撃した。熊は2-3分ほどして諦め樹から中程までずり降り飛び降りた。それから熊は15-20分間ほど樹の下にいたが、ほどなくそこから10-15mほど離れたスギの樹に熊が佐々木さんがいる高さほどまで登り佐々木さんを見ていたが、2-3分ほどで熊は樹を降り、再び佐々木さんがいる樹に登って来た。佐々木さんはまた同じ木の枝で熊の顔を反撃したら、5-6分で熊は樹から降りたが、熊はそれから樹の下から離れようとせず、やっと20分ほどして熊がそこを離れ、佐々木さんの車がある同方向の40-50m先の藪に姿を消したのは14:30頃である。さらに佐々木さんが樹を降りたのは15:30で、熊が入った藪横の林道通り100mほど離れた車にたどり着き自宅に戻った。加害熊は挙動から2-3歳の若熊と看取される。襲った原因は戯れであろう。樹に登り逃げ積極的に反撃したことで、生還しえたものである。佐々木さんは帰りがけに駐在所に寄り、先の男女が自分の難を警察や消防や役場などに届け出ていたか確認したところ、全く出ておらず、社会仁義に反すると憤慨していた。
 事件No. 58 母子グマを手鎌で撃退する  
2000年6月4日、恵山町、漁業、田中長之助さん(75歳)が、植栽10年のトドマツ・スギ(丈約3m)の下草刈りしての帰りの11時半頃、幅約1mの小道を歩き下ってきたら、20mほど先に置いてきた自転車の側に黒い塊が見え熊(母子)だと気づいた途端、母グマが一気に突進してきて、右足長靴の甲の部分に熊が爪を掛けたが直ぐに外れた(甲にかすり傷ついたが医者に行くほどではかった)。さらに口を開けて掛かろうとすること10数回、左手に2尺の鋸と右手に手鎌(柄長45cm、刃渡り23cm)を持っていたので、それを振り回したら熊の頭に手鎌が当たった感じがし、熊が子の方に戻ったが、子熊が寝ていて動かないので、母グマもその側から離れない。5-6分してから、熊を巻き込むように熊の側を走り越したら、また母グマが猛然と追ってきた。樹を介してまた熊が襲い掛かるので、鋸と手鎌を振り回し抵抗したらまた熊の頭に手鎌が当たった感じがし、熊が子の方に戻ったので、今度は走らずに熊から離れ自宅に戻った。14時30分ころ熊撃ちの猟師と現場に来てみたが熊はいなかった。そこは最奥人家から約270mほどの地点である。加害熊は母グマである。襲った原因は子を保護するために接近する人を「排除」しようとしたものであり、積極的に反撃したことで、人は生還しえたものである。子グマは体長1mほどと田中さんはいうが、寝るなどの生態から4ヶ月齢と看取できる。
 事件No. 59 猟師熊に反撃され重傷  
2000年11月1日、釧路管内白糠町上茶路の国有林で鹿猟中の猟師、原田勝男氏(60歳)は、午後0時15頃母子熊と見られる母グマを撃ち損じ反撃され頭部に重傷を負った。後で死亡している熊を見つけた。
 事件No. 60 猟師熊に反撃され死亡  
2000年11月12日、日高管内平取町岩知志の国有林で鹿猟中の猟師、安田貞二氏(73歳)は、熊を(撃ち損じ)反撃され頭顔部を攻撃され死亡しているのが、翌13日に捜索隊が見つけた。熊は山狩りを2日間したが、獲れずじまいである。左頭部陥没、右眼部に傷、左手に傷。
星野道夫さんの死  
 動物写真家の星野道夫さん(四十三歳)が、テレビ番組(どうぶつ奇想天外)取材で一九九六年八月にカムチャッカ南部のクリル湖畔で幕営中に、羆に夜襲され、喰われる悲事があった。その場所は、私も一九九三年八月に日本人として最初に羆の研究で訪れたが、私はこの種の人身事件の度に、被害者の無知ににがにがしさと、人を襲ったために殺獲された熊に哀れさを感じる。星野さんを襲った熊は、直ぐに筋肉部を食べたと記録にあるから、襲った原因は「喰うため」と見てよいだろう。報告書には七、八歳の雄熊とあるが、その熊は殺獲後ヘリコプターに吊し州都への帰路の途中捨てたとあり、年輪数による正確な年齢が書かれてないが、北海道での事例からして四歳以下の熊であることは間違いないと思う。熊の棲家での幕営そのものには何ら問題ないが、星野さんは「熊の中には人を襲うものも居ることを自覚し、そういう熊が襲ってくる場合のことを想定し武器(鉈など)を携帯すべきなのに」それを怠ったと言わざるを得ない。熊除けスプレーを星野さんは持っていたというが、熊は襲い始めたら、スプレーの有効距離の四bよりも離れた地点から、瞬時に襲いかかるし、テントの中からではなおさらスプレーは通用しない。
 星野さんも「鉈などで反撃していれば、生還しえたろうと」私は強く思う。星野さんは熊の本性を理解していなかったために殺され、それ故に加害熊も殺獲された。これも野生に対する無知が、自然に迷惑をかけた実例だと私は思う。熊との対峙で「自分だけは熊に襲われないだろう」という甘えは通用しない。熊の棲み家では自衛に鉈(鉈は誰でもが合法的に携帯できる唯一の武器である)を持ち歩くことが、熊に万が一襲われた場合にも生還するための条件である。TBS(テレビ局)広報部資料には、星野さんは「ここのこの時期の熊は、紅鮭が多く遡上し餌が豊富故人を襲うことはない」と幕営したとあるが、「熊が人を襲い喰うことと自然の餌の多寡には何ら相関性はなく、餌が豊富だから人を襲わない」という考えは誤りである。 
 
                   
 
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