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日本熊森協会 2011年総会 
記念講演(全文)5月1日尼崎市

農学博士 門崎 允昭

 

日本の熊

私は、1970年から、今日に至る42年間、羆をはじめ、北海道に居る、野生動物の、生態・形態・人との関わりについて、調査・研究し、熊に関する学術論文も、37本公表し、現在に至っています。

 今日は、それらに基づき、「日本の熊」と言う題で、日本の熊の由来と現状、日本に居る羆と、月輪熊の形態・生態の類似点・相違点、熊が人を襲う原因とその対策、熊が作物や家畜を、食害する原因とその対策、そして、熊と人が共存すべき理由と、その方策 について、お話しします。

 

 

 

 まず、現在、世界にどんな熊が、棲んで居るのかという事を、お話しします。

 現在、世界には、7種類の熊が棲んでおり、この内の2種類は、日本にもいます。北半球の北の方に居るものからその名前を言いますと、極北に居る北極熊、そして、ユーラシア大陸(これはアジアとヨーロッパを合わせた大陸のことですが)、ここに広くいる羆(羆は北海道にも居ます)、それから、北アメリカに広く居るアメリカ黒熊・アジアに広く居る月輪熊(月輪熊は本州や四国にいます)、それから、インド等に居るナマケグマ、マレー半島等に居るマレ−グマ・そして、唯一南アメリカに居るメガネグマの7種です。

 それでは、熊類とは、どう言う動物を言うのか、と言いますと、身体の造り、形態と言いますが、その特徴として、

@ 手足の指が5本で、手足ともオヤユビが、最も短かい。
A そして、歩くとき、手足の裏の全面を、着地して歩ける。手足とも、内則気味(内股気味)に、動かす。
B 尾が、短い。
C 雄のpenisには、陰茎骨がある。
D 歯が42本あって、雑食に適した、歯の形、そして、歯並びになっている。(I 3/3, C 1/1, P 4/4, M 2/3 = 42)と言う、共通性があり、

 また、生態的には、(生態というのは、生活状態の事ですが)。 
@ 妊娠した牝は、閉鎖空間(土穴・張り根下・雪穴など)に入り、子を産み授乳し、子が歩けるようになって、穴から出てくる。そして、子を1歳過ぎないし2歳過ぎまで、連れ歩き養育する。
A 熊類は、孤独性の強い動物で、発情した雄と雌が、短期間行動を共にするのと、子を養育している母グマが、子を自立させるまで、連れ歩くのと、それから、母から、自立した兄弟熊が、短期間行動を、共にする以外、常に、単独行動者です。
B また、食性が、雑食性であることも、特徴です。北極熊も、夏には、ツンドラの灌木林に入って、木の実や草を食べますから、基本的に雑食です。
C さらに、熊が日常的に、使用している場所は、地理的環境(地形水理植生)からみて、地域として、自然度が最も高い地域を、棲み場としており、それ故、熊は、自然の元締め的生き物である、と言えます。

 次に、これらの動物を、日本語で「クマ」と発音しますが、その発音の由来は何かと言えば、今から387年前に(寛永元年、1624年に)日本語の発音の由来について、多田義俊が書いた「和語日本声母伝」によれば、「暗くて黒い物の隅をクマと言うから、黒い獣の意味で熊と言うようになった」と講釈しており、私も案外そんな理由だろうと考えています。

 日本では、本州以南にいる熊を、多くの場合「月輪熊」と言いますが、その理由は、この熊の多くの個体に、首下から胸の上部にかけて、白い毛の斑紋があるからです。しかし、1割程の個体は、この白毛の斑紋が全く無く、全身黒毛です。

 北海道に居る熊は、月の輪熊とは別種の、羆という種の熊ですが、なぜ、これを羆と発音するかと、言いますと、西暦100年に、中国の許慎(キョシン)が編纂した「説文解字」と言う、漢字の由来などについて書いた、最古の字書に、羆と言う漢字は、音符(音)を表す漢字である罷免の「罷」と、意符(意味)を表す「熊(シォンと発音)」の字との合体字であると書かれており、これを文字通り発音すると、ヒクマとなり、このヒクマの「クがグ」に濁り、羆(ピ−と発音)と発音するようになったのであろうと、私は考えています。

 次に、『クマ類の起源』についてお話しします。
  クマ類の先祖探しは化石によって行います。 具体的には、クマ類に固有の特徴を備えた化石骨や歯を探し出して、その中で、最も古い年代の地層から産出した化石種を、クマ類の祖先と決めるのです。このようにして調査した結果、地球上に最初のクマが出現したのは、今から約二千万年前だと言われており、このクマの化石は、現在で言えば、ドイツのエルム地方などから出土していて、この化石を研究したドイツの古生物学者シュテリン氏によって1917年に「エルムの先祖熊」と言う意味の学名Ursavus elmensisが付されました。この熊は、イヌ類と共通の先祖から進化したものです。
   このクマの化石は歯と頭骨の一部しか発見されていません。したがって、身体の形や大きさは想像する以外ありませんが、身体の大きさは頭胴長が60cmから80cmぐらいであったろう、と考えられています。
 
  当時の陸地や海の形や気候も、現在とは大きく異なっていて、一緒に見つかった動・植物の化石から、現在のドイツやフランスに相当する一体の気候は、亜熱帯で、シュロやヤシの木が茂り、沼や河には、ワニが棲んでいたことが分かっています。このエルムの熊も多分木に登り、時には遊泳などしながら、雑食性の生活をしていたらしいと言われています。

 以来クマは今日まで2,000万年という悠久の時の流れの中でその時代その土地の環境に適応するために進化して来ました。そしてこの間に色々な種類のクマが出現しては絶滅していった訳です。

 エルムの先祖熊をはじめ、初期のクマ類はヨーロッパを舞台に進化したらしく、古い型のクマの化石は総てヨーロッパだけから出土しています。
 
  今から1,000万年ないし、700万年前には、北半球の気候は、亜熱帯型から幾分乾期型に変化し、クマも(Indarctos 類と称する)少し大型の種になり、ヨーロッパからアジアにかけて広く棲息、やがて当時陸続きだった北米大陸にも分布を拡大して行き、これが北米にクマが棲息しはじめた最初で、その末裔が後に述べる、南米にだけ居る、目がね熊だと言われています。

 そして、 今から600万年ないし500万年前になると、頭胴長1mないし1.4m程の学名が小型の熊を意味するUrsus mininus と称するクマがヨーロッパに出現し、これが徐々に体型を大型化させるなど進化しつつ、アジアから北米にも分布を拡大し、その末裔がアジア大陸ではアジアクロクマ(即ち、月輪熊)になり、北米に行った末裔がアメリカクロクマに進化したと考えられています。The bear almanac 2009年版には、世界の月輪熊の生息数は約6万頭、アメリカ黒熊は90万頭と書かれている。
 
  一方今から250万年程前からユーラシア大陸にはUrsus minimus から進化したエトルスカスグマUrsus etruscusが広く棲息し、そして、今から90万年ないし80万年前の更新世前期の氷河期の最寒冷期に、ウラル山脈(ヨーロッパとアジアの境界にある山脈)ぞいにスカンディナビア地方から大きく張り出した氷床によって、このクマはヨーロッパ個体群とアジア個体群に完全に分離されてしまいました。なお、氷河期については、後ほどお話しします。そして、その後、ヨーロッパ個体群はホラアナグマ「洞穴熊」にアジア個体群はヒグマに進化したと考えられています。
 
  ヒグマの最古の化石は、中国の北京の西南約40kmにある、あの北京原人が発見された、周口店の50万年前の地層(最近は70万年前と言われてますが)、そこから出土したものです。そして、約25万年前の間氷期の始まりとともに気候が温暖化し、ウラル山脈ぞいに張り出でいた氷床が、北へ後退するに従い、それまで分布が、アジアのみに限られていたヒグマが、分布をヨーロッパに展げ、以来、一万年程前に、ホラアナグマが絶滅するまで、欧州では、ヒグマとホラアナグマが、共棲していた、と言うことです。The bear almanac 2009年版には、世界の羆の生息数は約20万頭と書かれている。
 

 
  一方、ウラル山脈の氷床の後退と、時を同じくして、シベリア北東部の氷床も、北に後退しはじめ、ヒグマはその氷床を追うように、シベリア北東部から、北米のアラスカ中南部へも、分布を拡大し、さらに、大陸の南部や東部へ、分布を拡大していった、と言うことです。世界の北極熊の生息数は約2〜2.5万頭と書かれている。
 
  北極熊は、羆が、ツンドラ地帯を越えた、北極圏から北極海沿岸域に、分布を拡大する過程で、寒冷な氷海域でも生活し得る、体質と体型に進化したもので、このクマの最古の化石は、イギリスのロンドンからの産出で、年代は約10万年前のものだと言うことです。

 マレー半島にいるマレ−グマと、インドのデカン高原などにいるナマケグマは、相当古い時代に既に出現していたらしく、ナマケグマの最古の化石は、インドのマドラスにあるカルヌル洞穴の、約200万年前の地層から出土しており、マレ−グマの化石も約200万年前の地層から出土しています。特にマレ−グマの化石は、欧州からも出土しており、以前は相当広範な地域に、棲息していたらしい言われています。世界の生息数はマレー熊6千から1万頭、ナマケ熊約1〜2万頭と書かれている。

 南米に居る唯一の熊である、メガネグマは、下顎骨の咬筋窩が、二部分に分かれているなど、他のクマ類と全く異なる特徴があるので、相当古い時代に、特殊化した系統のクマの末裔と考えられています。世界のメガネ熊の生息数は約2万頭と書かれている。

 要するに、出現年代が新しい種類のクマほど、身体が大型で、しかも、北半球の赤道からより離れた地域、あるいは離れた地域にまで、言い換えますと、寒冷地にまで、分布していると言う特徴があります。

次に、日本の熊の由来について、お話しします。

 既にお話したとおり、月の輪熊も羆も、アジア大陸で、その祖型 (月の輪熊はUrsus mininusから、羆はエトルスカスグマUrsus etruscusから)から進化しました。日本で進化したものではないのです。

それでは 、大陸から、日本へ何時・どのようにして分布を広げて、棲み着いたかといいますと、氷河時代に移住してきたものです。氷河時代の年代等は、研究の進展で変わり得ることを前提に述べますと、

日本に熊が移住してきた、と考えられる氷河時代と言うのは、過去に4回あったと言われています。氷河時代と言うのは、原因は未だ、明確ではありませんが、大気中に火山灰が浮遊等して、太陽光が遮られる等して全地球的規模で、数万年単位で、気候が寒冷化した時代を言います。この間、海水が蒸発し、これが雪の原料となり、陸地や氷海に降り積もったものが、低温のため融解せずに、どんどん蓄積した結果、海水が減少し、海面が低下して、氷河期にはアジア大陸と日本列島の総て、またはアジア大陸と日本列島の一部が、陸続きになった、と言う訳です。
 
  アジア大陸と日本列島間には、5つの海峡(朝鮮と津島間の朝鮮海峡・津島と九州間の対馬海峡・本州と北海道間の津軽海峡・北海道とサハリン間の宗谷海峡・サハリンと沿海州間の間宮海峡)がありますが、4回の氷河期のうち、最後の氷河期を除く、前3回の氷河期、これは今から、47万年前13万年前の間に、あったのですが、このとき海水面が、現在と比較して約140m低下し、日本列島はアジア大陸と完全に、陸続きになっていた、と言うのです。

 この時に、アジア大陸から朝鮮半島を通って、九州・本州に月の輪熊と羆が移住してきた訳です。九州・本州に羆も来たって、と驚ろかれるかもしれませんが、山口県阿武アブ郡阿東アトウ町の岡村石灰採石場、栃木県さくら市葛生クゾウ町の石灰採石場、広島県神石ジンセキ高原町の帝釈タイシャク観音堂遺跡、青森県尻屋崎シリヤザキの日鉄鉱業採石場、などから、月の輪熊や羆の化石が見つかってますので、羆も移住し、棲んでいたことは、間違いありません。

 それでは、本州以南の羆はその後どうしたのか。と言うことですが、羆は元来、冷涼な気候を好む体質であることから、氷河期後の、温暖化した気候に、適応しきれず、絶滅した、と私は考えています。北海道からは、この時代の熊類の化石は見つかっていません。北海道で見つかっている熊の遺物は、古い物でも1万年ぐらい前の化石化していない骨で、しかも総て羆で、月の輪熊の骨は人が持ち込んだ物以外見つかっていません。

 ですから、月の輪熊は、本州から津軽の陸橋を通って一時的に少数が北海道に移住した可能性はありますが、安定した状態で、自然分布していたことは、無かった、と私は考えています。そして北海道に羆が移住してきたのは、本州よりも新しい時代で、それは今から7万年前〜1.5万年前の5.5間続いた最後の氷河期で、津軽海峡が海となり、日本列島のうち、北海道だけが、サハリンを介してアジア大陸の沿海州と陸続きになっていた時に、渡来してきたと、私は見ています。

 日本の熊の現状について、お話しします。
月輪熊については、私は形態に関する論文、寄生虫に関する論文、人身事故に関する論文を、学術論文として発表していますが、生息実態については、調査したことがありませんので、これについては、今回お話しするのを、控えさせて戴きます。The bear almanac 2009年版には、日本の月輪熊の生息数は8.400頭〜12.600頭と書かれている。

 ただ、九州の月輪熊について、言わせて戴きますと、九州では、絶滅したと言われてますが、1999年以降 姿の目撃が2例あることから、私はまだ生息している可能性が、あると考えています。

 場所は、いずれも九州中央部付近にある「祖母ソボ・傾山カタムキヤマ山系の、標高は1,600m〜1,700m」での記録です。
一つは、今から13年前、1999年5月8日に、遭難者救助で山に入った救助隊員4名が、大分県側の傾山北側の、アオスズ谷下流で、子熊2頭を連れた母子3頭を目撃した、と言うもの。1999/5/8/赤旗。 

 もう一つは、その翌年の(2000年)3月19日に、大分県 緒方町オガタチョウで、砂防現場に車で向かう林道で、複数の作業員が、母子2頭(母は体長約1.5m、子は約70cm)が、車の前5m先をのし歩き、雑木林の中に消えるのを見た、と言う情報です。(渡辺紘三、59歳、談)、2000/3/19/道新

 次に、北海道の羆の現状についてお話します。  
北海道は面積が日本全土の20%を占め、九州の約2倍あります。現在全道の71.5%が森林地帯で、宅地農牧地など、人の日常的生活地は28.5%です。現在の羆の生息域は、全道面積の50%で、森林地帯と森林に囲まれた山岳地帯が生息地です。生息数は私の推算では、1900頭〜2300頭で、この内年間300〜600頭殺され、「世界自然遺産地の知床」でも毎年20〜30頭もの羆が殺されている実態は、日本の自然保護行政が、如何に貧弱であるか、お分かり戴けると思います。

 次に、羆と月輪熊の形態・生態の類似点と相違点についてお話しします。

 既に述べた事以外の、類似点を上げますと、
@、全個体が、閉鎖空間に入って冬ごもりをする。
A、産子数が、1〜3頭である。子を養育する期間は、子が満1歳過ぎないし2歳過ぎまで養育する。発情期は、5月下旬から7月上旬である。妊娠期間が8ヶ月である。1月から2月に出産する。食性が雑食性で、多様な物を食べる。
B、歯に年輪線が見られ、年齢が推定出来る。と言うこと。

 相違点は、
@、毛色が、月輪熊は胸の白毛を除き、全身黒毛であるのに対し。羆の毛色は多様で、黒毛、褐色毛(金毛と言う)、白色毛(銀毛と言う)、さらにはこれらの毛が混じり合ったもの、そして、胸に白毛の白斑のあるもの(10%)無いもの(90%)などと多様である。と言うことです。
A 月輪熊の、手の平には、毛が無いが、羆は季節的に、寒冷になる土地にいるために、手の平の後半部全体が、毛で覆われています。
B、月の輪熊は、温暖な気候を好むのに対し、羆は、冷涼な気候を好む。と言う特徴があります。

 熊が人を襲う原因と対策について、お話しします。

 私は、1970年から現在(2010年)までの、42年間に北海道で発生した、羆による人身事故74件、総てについて、検証調査しており、それと、過去に本州で発生した人身事故3件、これは既に論文として、公表しており、これと、昨年、本州で発生した人身事故83件の資料、これは主に、新聞記事で、熊森協会の皆さんに、集めて戴いたもので、そのうちの3件は、熊森協会の白川君らに実際に、現場に行き、被害者に面談して、熊に出会ったときの状況、襲われた時の状況、熊の襲い方、その時、熊にどう対応したか、等を調査してもらいました。で、これらを基に、お話しします。

 北海道での人身事故は、42年間に74件で、年平均1.8件です、本州ではどうか、昨年だけで、少なくとも、83件発生しています。この数値から見る限り、羆は、人を滅多に襲わないが、月の輪熊は、人を安易に襲う傾向があると言う結論になります。しかし、その真偽については、更なる検証が、必要だと考えています。

 死亡者数を比較しますと、北海道では74件の内、27件で被害者が死亡しています。一方、月の輪熊での事故はどうか、と言いますと、昨年の83件の人身事故での、死亡事故は2件です(福島県で70歳♂、鳥取県で82歳♂)。
これらの結果から、羆は人を滅多に襲わないが、襲うと、月の輪熊よりも遙かに強烈で、襲われた人間のダメージも大きい、と言うことが言えます。これは、羆が、身体が大きく、力も強いことが理由です。

  熊が人を襲う原因は3大別されます。
  第一は人を襲う原因として最も多い物で、「人を排除するために襲う場合」で、これは、不意に人に出会った場合、子を保護する場合、人の存在が障害となる場合など、また撃ち損じた猟師を襲う場合等です。月輪熊もこれらが、原因で人を襲います。
 
  第2の原因は 満1,2歳の熊が、戯タワムれ苛立イラダちから襲う場合で、羆はこの原因で人を襲うことがありますが、月輪については、人をこの原因で襲った可能性がある事故が、昨年の人身事故でありますが、現時点では、はっきりしません。
 
  第3の原因は、 人を食べる目的で襲う場合で、羆は人を襲い、食べることがあります。その場合、その場で食べることもあるし、自分が安心できる場所に人を引きずって行って、そこで食べることもある。月輪熊の場合、人を食べる目的で襲うことがあるのか、どうか、現時点では不明です。

 それでは、次に人身事故の防止策について、お話しします。

 熊は先に述べた様に、孤独性の強い獣で、発情した雄と雌が短期間行動を共にするのと、子を養育している母グマが、子を自立させるまで連れ歩くのと、それから、母から自立した兄弟熊が、短期間行動を共にする以外、常に単独行動者で、熊同士出会うことも嫌います。ですから、異種動物である人と遭遇すると、時に我を忘れて、先制攻撃してくることが在るわけです。
 
  この種の事故を防ぐには、自然に無い音を出し、熊に人の存在を、知らしめることが有効です。そこで、私はカタツムリ型のホイッスルの携帯を、薦めています。これは形も小さく、重さも軽く、音も遠くまで響きます。これを10分間に数回吹くわけです。ラジオはどうかと言うと、ラジオを携帯し、音を出っぱなしにすると、熊が接近してきても分からないので、不適です。と言うのは、熊は時に、人が音を立てていようが、立てていまいが、熊のほうで、積極的に人に近づき、襲ってくることがあるんです。

 それでは、このような時どうするか。北海道で、猟師以外の一般が1970年〜現在までの42年間襲われた事故44件の内、死亡が18件、生還が26件で、死亡者は、皆素手で対抗しているのに対し、生還者は、皆刃物や、刃物が無い場合には、石などを掴み持ち、手足をばたつかせて、羆に積極的に、反撃しているのが特徴です。

 誰も頭や首を両手で覆い、「無抵抗」や「死んだ振り」をして、熊の攻撃に耐え忍んだ者はいません。意識ある状態で、熊の爪や歯による攻撃に、じっと耐え得る人間など居ません。にもかかわらず、多くの熊研究者なる者は、臆面もなくこの「死んだ振り」を推奨し、恥じらいもなく、言ったり、講習会やテレビで、実演して見せたりしているわけです。人身事故を2、3件でも、検証調査していれば、こんな戯言は、言えないはずですが、していないから、こんな妄言が、言える訳です。

 昨年の本州の月輪熊の、83件の人身事故でも、熊に掛かられると同時に、皆反射的に、熊に全力で抵抗しています。誰も無抵抗でいた者はいません。

 

 そこで、私は30年も前から、熊と遭遇する可能性がある場所に、行く場合には、ホイッスルと鉈ナタの携帯を、熊による人身事故を防ぎ、襲われた場合に被害を最小限にし、生還するための必需品として、薦めています。

 鉈は、日本で一般人が合法的に所持し得る、唯一の武器になる刃物です。
もし、熊が襲い掛かってきたら、熊のどこでもいいから、鉈で叩タタきつけること。反撃以外に熊を撃退する方法はありません。そのためにも、鉈を必ず携帯すべきである、と言うことです。

 これに対し、熊を鉈等の刃物で、叩いたりしたら、かえって、熊が猛り、被害が大きくなると、想像で言う者がいますが、羆での検証事例では、そう言う事例はありません。

 先ほど言いましたが、羆に襲われての一般人の死亡事件は、1970年以降今日まで18件在りますが、これらの被害者も、私は鉈などで反撃していれば、死なずにすんだと私は確信しています。

 検証しなければ、何が正しい対応策なのか、分かりません。ですから、熊による人身事件を予防するためにも、そして、万が一にも襲われた場合に、その被害を最小限にとどめるためにも、被害の検証調査は非常に重要なことで、そう言う意味で、熊森の皆さんにも、月輪熊による事件の検証を、お願いしているわけです。

 唐辛子を主成分とする「熊除けガススプレイ」について言えば、瞬時に襲い来る熊には通用しないし、それよりも、人が、このガスを、少しでも吸ったら、呼吸ができなくなる。また、肌にガスが僅か付着しただけで、皮膚が炎症起こし、我慢できないうえ、目に入ったら、目を開けていられない、そう言う、しろものである。と言うこと。それを承知で、使うなら別ですが、私は、鉈の方が有効だと、
考えていますので、「熊除けガススプレイ」は推奨しません。

  「熊除けガススプレイ」に関連して、熊に対するリンチ・仕置きについて、言及致します。
熊が人家付近などへの、再出没を防ぐために、人の怖さを教えると称し、檻で捕まえた熊を麻酔し、採血抜歯し標識のタグや発信器をつけ、顔面に人の場合、目に入ったら15分以上水洗し更に医療処置をせよと言う「トウガラシ成分のこの熊除けスプレー」を、熊の顔面に吹き付け、熊には無害と豪語している傲慢さに、私は怒りと同時にその行為におぞましさを感じます。

 
  次に,熊が家畜や作物果樹牧草等を食害する原因とその対策について、お話しします。

 熊が家畜や作物果樹牧草等を食害する原因は、熊の食性が雑食性で、食域が非常に広いことにあります。自然物では、草本類、木本類、動物性のものは虫類から哺乳類に至るまで、腐肉まで食べるし、羆に至っては人を襲って食べることもあるし、土葬の墓をあばいて、遺体を食べることも以前はありましたし、いまでも希に相手を倒して共食いすることもあります。ですから、時に 家畜や作物果樹牧草等を食べたりする訳です。野生の熊を見てますと、羆の場合は小熊は4ヶ月令になりますと、母熊が食べているものを、見ていて、それを食べます。最初、臭いを嗅ぎ、それから、舌先で触れてみて、それから、やおら、少し食べて見て、そして、安心したように、食べ出します。家畜や作物果樹牧草等は、食べた経験が無くても、食べられるものか否かを本能的に判断し、熊は食べると、私は理解しています。

 そこで対策としては、熊の出る場所に、大体地域や場所でそのような箇所は決まっていますから、そう言う場所に「有刺鉄線で網の目15cm角で、地面から高さ1.8m程の柵を造るなり、地面の幅3m程の間に有刺鉄線を直径1m程のリング状に広げたものを前後2列敷設」するとよい。

 電気柵は、草と触れると漏電するので、除草が必要など、保守管理に経費がかかり不適です。

 本数が少ない果樹の場合、幹の高さが3m以上ある場合には、木の幹の地面から1.5から2.5mの間を、有刺鉄線で10cm間隔で巻くなどでその食害は予防できます。

 時に熊が、街中に出てくることがありますが、熊が街中を移動する場合、熊は庭木等木のあるところから、木のあるところへ向かって、移動する傾向があります。これは、羆も月の輪熊も、自然での主たる生息地が森林であるために、本能的にそのような行動に出る訳です。

 また、ガラスに体当たりして、熊が建物の中に侵入する事がありますが、これはガラスに映った己の姿を、他の熊と見誤り、既に述べた通り、熊は孤独性が強いために、相手を攻撃するために、侵入するものと、私は解釈しています。

 熊と人が共存すべき理由とその方策について、私の考えを申し上げます。

@ 熊を野生状態で生存を認めるべきだと言う私の考えの基盤は、「野生生物に対する倫理(これは生物の一員として人が為すべき正しき道)」の問題だと考えるからです。

 この大地は総ての生き物の共有物であるはずで、熊が既に棲息している場所がある地域では、その地域で、人は熊と共存する責務があるはずだし、また責務とすべきだと私は考えています。

 熊を予防的に駆除殺すのは、人間の傲オゴりで、生物倫理に反する行為だと私は考えています。
殺すのを止めたとしても、山野が熊で埋め尽くされるようなことが生じないことは江戸期以前の史料を見れば分かります。

 狩猟を如何に取り扱うかと言う問題は別にして(猟区は最奥人家から2km奥までの範囲が妥当だと思いますが)、熊の駆除制度を止め得て、我が国も初めて本物の自然保護が確立し得たと公言し得えると私は捉えています。

 現在の多くの熊研究者なる者は、熊を檻で捕らえ、麻酔して、血や歯を採取し、発信器を付けての調査や体毛でのDNA調査など、これら一連の行為は、現在までの流れと結果を見ても、人身事故の予防や熊の保全に全く寄与しておらず、熊を一方的に犠牲にするこのような行為は、人の道からも、野生動物に対する倫理面からも、私は邪道だ断じており、これを止めさせる世論の形成が必要だと私は強く思います。

 熊を、自然状態で、残し続けるための鍵は、人身事故と作物・家畜の被害の予防が、実現し得るか否かにかかっていると私は考えており、今後本州で発生した、この種の被害について、熊森協会として、独自の検証調査を為し、それを基に被害防止策を見出し、世間や行政に、それを啓蒙し、熊を殺すのを止よう、と言う世論作りの形成と、その実施を、行政に、迫って行くことが、必要ではないか、と私は考えます。

 そのためには、私も協力を惜しまないつもりです。
そう言う意味から、私は熊森協会の今後に全幅の期待を寄せていることを、ここに申し上げ、今般の講演を終わらせて戴きます。ご静聴有り難う御座いました。

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