今一度、熊たちの生き様を見つめようではありませんか。


 北海道に居る羆も本州に居る月輪熊も日本の緊張感ある素晴らしい自然を自身の生態(生活状態)で生み出し保っている自然の元締めです。真摯に熊たちの生き様を見つめようではありませんか!!!! 

<この大地は総ての生き物の共有物なはずです>

 この大地は人間だけの占有物ではありません。総ての生物の共有物です。総ての生物がこの大地で生を謳歌し、命をはぐくむ権利があるはずです。野生動物を人が管理するというのは、人の傲慢さ以外のなにものでもありません。羆が北海道の山に何頭棲んでいたっていいではありませんか。本州に月輪熊が幾ら居たっていいじゃありませんか。山の熊を自然放置しておいても、北海道や本州の山地に熊がウヨウヨ居るほど熊が増えることは絶対にないことは、江戸期の日本の自然を想像してみれば自明のことです。 また、自然を畏敬する観念は自然にどっぷり漬かって(身を置いて)みれば、そこにある個々の自然物(生物も無生物も含めて)の総てが己と対話し得る存在であることに気づくのは当然だし、そこには己には無い偉大な力の存在にも気づき、畏敬せずにいられない霊力を感ずるものです。 熊が棲む自然はそういう最高位の自然であり、これはいかに科学や宗教が発達発展しようとも代償し得ないものだと思う。 熊の生態を真摯に見ていると、熊族が太古から歪みなく子々孫々伝授してきた掟に裏打ちされた純朴で真摯な生き様が感じられ、これは人が鏡とせねばならぬの感がする。 実際歪みが極限に近い現社会に生きる我々は野生生物の生き様を鏡として、我々の生き様を是正していかなければ、人間社会は精神面から破綻しかねないと私は強く思う故に、野生生物と人がこの大地を共有していくことの必要性を唱えたいのです。

 

<北海道で毎年殺されている羆の頭数ご存じですか>

 その数は(2003年が399頭:2004年12月更新)2002年が293頭、2001年が482頭、2000年が300頭、1999年が340頭、1998年が299頭です(北海道庁の統計)。私の調査による20年前の1981年が333頭、21年前の1980年が334頭でした。道が現在行っている羆施策はただ旧態以前の羆を殺すことだけ!!! さらに道では2年前から羆の頭数管理の手法確立と称して、渡島半島部で春季に「何も人畜に害をしていない!!!」羆をハンターを動員し山奥まで追跡し40頭を限度に殺す「被害が生じる前に熊を一定頭数殺す予防駆除」施策を進めています。皆さんはこの施策をどう考えますか。おぞましいと考えませんか。 道が行おうとしているのは、熊による各種被害が生じないように、前もって地域毎に羆の適正頭数(各種被害が発生しないように。しかし人身事故は熊の生息地に人が不用意に行って起きている)を決め、その超過分を間引く(殺す)ために、奥山まで熊を探索、実際は被害をもたらしていない個体をも無差別に殺す「頭数管理法」という手法で、熊を管理しようとしているものです。これは14年前に廃止した「春熊駆除」と同様人間のおごりで決して許される策ではない。現在生じている「不用意に熊の生息地に入っての人身事故」を皆無にするには熊を絶滅する以外策がないことを人は賢明に自覚すべきです。 道が2年前から始めた渡島半島部での40頭駆除、は時計の針を春熊駆除が開始された35年前に戻した愚策であり、道が熊施策のために採用した「研究者」の無能さと自然に対する傲慢さをさらけ出したものと私は解している。

 

<道では羆の生息数をいつの間にか「2000頭から3000頭の間」と言い出した>

 道では羆の管理保護には、生息数の把握が欠かせないといい、巨額の税金を使いヘリコブターや羆に電波発信器を着けて調査していながら、結局はその手法では生息数が推定できず、市町村担当者やハンターなどから、聞き取り調査した羆の数を彼らなりに細工して作り出した数が「2000頭から3000頭の間」という生息数。こんな数なら税金使って聞き取り調査せずとも誰でもいえるいい加減な数というべきです。これが科学的手法で出した数字というから驚きです。 「寅の威を借りる何とやらで」ことある毎に外国人研究者なるものを税金で招聘し、ポスターまで作り自分らに都合のいいパネラーだけでシンポジュームをマスコミを取り込んで華々しくやってきた彼らは今まで何一つ「熊にも人にもためになる」提言施策を行っていないというのが実状です。 今年から、渡島で人里に出没する熊を特定するために、熊の出没地に有刺鉄線を張り、そこを通り抜けた熊の毛が有刺鉄線に着いたのを回収し、DNA分析をするというに至っては、効果も吟味せずに何か先端技術を導入しないと、調査といえないというような不安というか自信欠如による妄想に取り憑かれ(逆に、DNA調査のような手法は世間聞こえがよく、予算も獲得しやすいと考えているのかもしれないが)、税金を浪費しているといわざるをえない。 そういう熊の動向を、最も安価に把握するとすれば、熊の通りそうな場所に(熊が好んで通る場所はほぼ決まっているものです)、石灰粉を幅1mほど少し厚く撒いておき(1度撒けば1年は有効)、熊が歩くと足跡が付近に白く残るので、その足跡の大きさと歩調(足跡が複数連なったものをいう)とから、個体識別できるもので、そのような調査が第一歩だと私は考えますが、皆さんはどう思いますか!!!! ちなみに、私は北海道での羆の経年的な捕獲数と出没・痕跡の相関から推計学的に北海道の羆の生息数を1984年に「1900頭から2300頭の間」と公表しましたが、現在もほぼその数は保たれていると私はみています。道の熊研究者とその取り巻きは私のこの数値を科学的根拠がないとことある毎にいっていますが、皆さんはどう考えますか。

 

< 道の熊対策パンフレット>

 道は、市町村役場の窓口や大規模店に「あなたとヒグマの共存のために」という啓蒙パンフレットを置いていますが、それを皆さんは見たことありますか。1年前までのそれには「クマに襲いかかられたら、首の後ろを手で覆い、地面に伏して死んだふりをして下さい。山に入る人は万一に備えて練習して下さい(原文)」と図入りで出ていました。皆さん考えて見て下さい。熊に襲いかかられて意識がある状態でじっと静止し我慢し得る人がこの世に居るだろうかということを。この対処法は「道内外の熊の専門家が検討して作成したもの」といいます。私はこれに呆れ、人身事故を真摯に検証していれば、これがいかに非現実的で馬鹿げた方法であるか分かるはずだといい続けてきましたが、それが少しは気になったのか、昨年作ったパンフレットからは「死んだふりをした」図が削除されたが、なおも「メンツかプライドがそうさせたのか」今度は「北米では、首の後ろを手で覆い、地面に伏して、頚部、後頭部への致命傷を防ぐ方法を勧めています。また、クマ撃退スプレーが、ある程度有効であることも知られています」と改文されている次第。私には「熊に襲いかかられて意識がある状態でじっと静止し我慢し得る人がこの世に居るだろうかという」率直な疑問が消えません!!!! 北米のいい加減な事例を引き合いに出すよりも、道内で発生した熊による人身事件で人が難を逃れた場合の対処例を書いた方がはるかにためになるはずだが。

 

<クマ撃退スプレー>

 これは米国で熊撃退目的ではなく、痴漢・強盗など加害者(人)を撃退するために開発発売されている商品。これが米国の熊研究者が熊に麻酔をし、覚醒した熊が研究者の方に寄って来る場合があり、これを撃退するために使ったのが、商魂巧みな連中に熊撃退スプレーとして宣伝販売されているのを、日本でも熊が人を襲うときの挙動を知らない熊研究者なるものが、その商売の片棒をかついで、これが熊に襲われた場合の有効な反撃物として宣伝されているのが実状です。この商品には熊が撃退できるとは全く書かれていない。 成分は「Oleoresin Capsicumオリオレジン カプシカム」という唐辛子(南蛮)の刺激物質の主成分に紫外線に反応する無色色素(警察が犯人を特定するために「熊ではない」)を混ぜた物。サイズは大形のものが、直径5cm、高さ25cmの筒型で重さは約460グラム。噴射距離は2mから6mで、最も有効な噴射範囲は3m以内と使用書に書かれている。 使用書には「目・皮膚への付着に注意すること。風がある場合は噴射するな」ともかかれている。唐辛子を素手で触り、その手で目・唇・陰部など触ればピリピリ痛くなり炎症生じるが、これがスプレーの主成分。もし、スプレーしてこの成分が少しでも自分の目や呼吸で吸い込んだりしたら、咳き込み、目があいていられず熊撃退どころではないというしろものである。そんなことは全く公表されていない。また「襲ってきた熊を熊撃退スプレーで撃退した事例」が北海道では(多分日本でも)一例もないという事実も直視すべきでしょう。襲ってきた熊を「この撃退スプレー」で撃退できると信じるのは間違いです。

 

<熊による人身事故>

 私は1970年以降の北海道で発生した熊による人身事件を総て検証していますが、事件は総て熊の生息地(熊が長期に続けて使用している場所をいう)で発生しており、人里での事件は1件もありません。 1970年から2002年までの33年間に道内で発生した人身事件は60件、このうちハンターが熊に逆襲された事件が24件、一般人の事件が36件です。ハンターの事件は一般人の事件とは異質ですからここでは除いて話を進めます。  一般人を襲う熊の存在率は、熊の生息数を二千頭とし、最近33年間に一般人が熊に襲われた事件は36件ですから、年平均件数は約1件(36件/33年)です。それで、一般人を襲う年間の熊の存在率は約二千分の一頭ということです。これで、人を襲う熊はいかに少ないかお分かりいただけたと思う。 1970年から2002年までの33年間に道内で発生した死亡事故は十二件 十五名で、このうち武器を確実に携帯していた者は1件1名である。この人は柄の長い(五尺)鉈鎌で熊に反撃し、熊に抱きつかれて引っ掻かれ失血死した。他の被害者は皆素手で対抗し殺されている。生還者は二十四件二十五名で、いずれも鉈、手斧、包丁、手鎌、剪定鋸、鉄棒、スコップ、拾った石、素手だがもがいていて足で蹴るなど、積極的に熊に反撃し助かっている。これで熊に襲われての生還に、鉈など武器での反撃がいかに大事かお分かりいただけよう。過去三十三年間に「熊に襲われて死んだふりをして生還した事例」も「襲ってきた熊を熊除けスプレーで撃退した事例」も北海道では一例もないことも知って欲しい。 熊の生息地や出没地に入る場合には自己責任で「生還するための準備」が必要である。鉈は日本では合法的に誰もが持ち得る「熊への反撃に有効な武器」である。鉈の携帯まで踏み込まなければ、熊に襲われての死亡事故はなくせないと思う。鉈で反撃したら、逆に「熊を興奮させ、被害を大きくする」ではないかという反論もあるが、それを裏付ける事例はない。それよりも鉈で反撃していれば死なずに助かったと推察される事例がはるかに多い。 斜里新聞 (平成八年五月十五日号)に、熊を大学時代から研究していたという町職員が、私と犬飼共著の「ヒグマ」について「鉈で戦った方がよいとか、陰部を露出すれば(これはアイヌの伝承)クマは逃げるなど、返って危険な行為や馬鹿げた話が載った本が今でも堂々と売られているのが、わが日本国なのです(原文)」と己の無知を臆面もなく披瀝している。

 

<クマ用心の実際>

 私がヒグマに間近で出会った体験は、1:足寄で新生子のいるクマ穴を覗きに行き、中を覗いた途端母熊に約六十センチの距離から吠えられたこと、2:大雪山で単独熊と七〜八メートルの距離で遭遇したこと、3:カムチャッカでヒグマを三十メートル程離れた位置から撮影中に、熊が突然七〜八メートルまで私に突進して来たことなどである。 私が実行し、他人にも奨める熊用心は次のようなもの。1:必ず鉈を携帯する(武器として実用的な物であること)。2:ラジオなど常時音の出るものは、熊の出現など辺りの異常が感知し難いのでやめた方がよい。カタツムリ型の小型の呼子を持ち、時々鳴らすか、声を出す方がよい。3:辺りを充分注視しながら進む。見通せる範囲はもとより、その先の死角部分は、特に歩みを遅めて、注視すること。4:万が一熊に出会ったら(二十メートル以上距離がある場合)、走らないで、熊の様子を窺いながら、熊から離れることだ。距離が一〇数メートルないし数メートルしかない場合は、その場に止まりながら、熊に話しかけること(最初は普通の音声で、それからは大声で)。そして熊が立ち去るのを待つ。 自分も少しずつその場から離れてみる。「熊が襲ってきた場合の対応」は私は未経験だが 過去の事例からいえることは、死にものぐるいで鉈で熊の身体のどこでもよいから叩くことだ。これ以外に「有効な生還策」はないと思う。「鼻先を叩け」という者(登別熊牧場の女性職員)がいるが、うまく叩けるものではない。熊の痛覚は全身にあるからどこを叩いてもいい。事例から、人の反撃で熊が痛いと感じれば、熊も怯み人への攻撃を止め逃げるものだ。

 

<糞や足跡で大騒ぎするな>

 北海道(日本)には「熊が居て当たり前」であるから、熊の生息地に通じる林地やその側の畑地や牧地に、熊の糞や足跡があったぐらいで騒ぐべきではない。同様にこれだけ道路網が展開してしまうと、ヒグマの道路横断は必然的なもので、ヒグマが道路を横断しただけで大騒ぎし、そのクマを執拗に追跡し殺すべきではない。人を見て逃げるクマは決して人を襲ったりはしない。札幌の西野でもこの九月に宅地傍の林地に熊が出て、大騒ぎしていたが(西区の市の施設「公園」では毎年騒いでいる)、私が現地を見た結果、その熊は母から別れてまもない1歳半の子熊で、自分の新たな行動圏を確立するために林地伝いに徘徊していて、たまたま端まで来てしまったもので、林地際では人と遭遇する時間帯を避けて行動していることから、人畜無害の個体であるのに、その見極めができないために大騒ぎしている様は情けない。 熊の出没には必ず理由がある。それを見極めて合理的な対応をすべきである。

 

<多様な場所の熊対策>

 ”公園内”の熊対策では、基本的に公園での熊の出没を黙認するか、または園内から熊を完全に排除するかで対応が違う。同様に、”作物栽培地”での熊対策も、多少の被害を黙認するか、被害を完全に防止するかで対応が違う。前者の場合は、公園では個々の利用者が熊の被害の防止策を講じつつ自己責任で利用する。作物の場合は、個々の栽培者が熊の出没地で営農していることを、自覚し多少の被害は黙認する。後者の場合は、園内への熊の侵入や作物の被害を防ぐ実用的な対策は、熊が侵入する可能性のある部分を電気柵(電源は太陽電池)で遮る。この場合柵下の地面を幅2メートルほど舗装して熊が地面を掘り下げて柵下を潜り出入りすることを防ぐ必要があるし、こうすることで、柵の漏電も防止できる。家畜や養蜂の被害も電気柵で防止できる。知床で話題になる番屋への熊の侵入も電気柵や逆さ釘で防止できる。

 

<人家付近の熊対策>

 人を見てまもなく逃げる熊や人と遭遇しない夜だけ出没する熊は人を襲うことはないから、捜索してまで殺すべきではない。心配ならば出没地に石灰粉を撒いておき、足跡からその熊の動向を監視し被害を起こす個体か否かを見極めることだ。 熊の捕獲に箱罠やくくり罠を使うが、被害が発生した人家付近に罠を置くのは人に危険だからと、被害現場から離れた位置に置き、多量の誘餌を仕掛けるために、人家付近に出没していた熊とは別の罪なき個体を捕殺している場合が非常に多い。罠は被害地所に限定して置くべきで、それが出来なければ使うべきではない。

 

<リンチ・仕置き>

 ヒグマが人家付近に再出現するのを防ぐために熊を罠で捕え「人の恐ろしさを悟らせる」として、人の目に入れば「流水で一五分間以上洗眼し医療処置するように注記されている「熊除けスプレー」を顔面に噴射し「熊には無害」と豪語する傲慢さは生物倫理の片鱗もない。リンチの有効性に広島県の例を挙げているが、リンチを加えて放逐した熊と加えないで放した熊との間に再出現で明確な差異があるとする比較対照結果はどこにもない。一昨年道東の羅臼町でも同じ行為をされた熊が再度出没し結局殺した。この根拠のない「リンチ」をマスコミも含めて「お仕置き」とか「先駆的熊対策」というに至ってはおぞましい限りである。

 

<熊を野生で生かし続ける生息域管理法>

 人と熊は互いに棲み分けで共存すべきで、それには熊に生息地を保証し頭数はその中で自然の摂理にまかせる「生息域管理法」で行うべきである。その生息地から越境し、人畜作物に明らかに被害を起こす可能性が明白な個体は割り切って殺す(行動を吟味すれば分かる)。これを実施すると殺された熊を補充するように奥山から次々と熊が里に近づき、これをまた殺すことで究極には熊を絶滅させるではないかという意見もある。しかし奥山に熊の好む餌樹(ドングリ類、コクワやヤマブドウ「育樹のためにからみついたのを除伐しているのが現状」など)を残し、樹を伐採し過ぎて山を明るくし過ぎなければ多くの熊は里に近づかないし、例え不用意に近づいてもまもなく立ち去るものである。 経験不足の若熊の中には里に関心を持ち居座り、度々出没するものも希にいるが、この種の個体も里に出没すれば「銃器で脅かされることを自ずと学習し、里に近づかないか、近づいても人と遭遇するような時間帯には里に出没しなくなる」。このことは春熊駆除を実施していた頃の状況を思い起こせば分かる。以前の春熊駆除が熊との共存という点で問題だったのは、被害の防止には熊を減らす以外ないとの前提で、何も害をしていない熊をも探し求めて無制限に奥山まで探索し、熊を発見するとそれをどこまでも追い殺したことにある。もしこれを続ければその地域の熊を絶滅させることは明白で、前者とは施策が根本的に異なる。野生動物は殺さないことを前提とした施策を遂行すべきであると私は考えますが、皆さんはどう考えますか。


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