ヒグマの実像


    ヒグマの実像       門 崎 允 昭  

日本獣医学会 1998年大会 記念講演の要旨

 

1.ヒグマの進化史 日本への渡来、本州以南での絶滅、 北海道の現状、現在の生息域は全道面積の約50%、生息数は約1,900頭(出産前)〜2,300頭(出産後)。

 ヒグマ(Ursus arctos)は日本では陸棲最大の獣、その実像についてご紹介しよう。

ヒグマは現在ユーラシア大陸と北米大陸とその付近の島、北海道・サハリンなどに約14万頭ないし16万頭生息している。

 太古には本州以南にもいた。

 ヒグマは現在日本では北海道にしかいないが、3万年ほど前までは本州や九州にもヒグマがツキノワグマ(Ursus thibetanus)と共に棲んでいた。その後本州や九州のヒグマは気候の温暖化で絶滅した。ヒグマはそもそもアジア大陸で今から90万年前ないし50万年前に、ヒグマより少し小形のエトルリアグマ(Ursus etruscus)から進化したもの。世界で最古のヒグマの化石は中国の北京の西南約40kmにある、かの有名は北京原人が発見された周口店の50万年前の地層から出土したもの。

 氷河期に渡来

 日本へは氷河時代に陸氷の増加で海水が減少し(海水が蒸発し雪となり、陸に積もったため)、海面が低下しアジア大陸と日本列島が陸続きとなった時期に移住してきた。これは熊に限ったことではなく、絶滅したマンモスやオオツノジカなども含めて、日本に現存する多くの動物や植物もこの時期に大陸から移住あるいは分布を拡大してきたものである。 

 漢字 羆

 「ヒグマ」という言葉は中国で漢字羆が造字された時、罷熊から能を1個除いて造られたことから、造字前の「罷熊ヒクマ」から「ヒグマ」と訛ってできた言葉である。

 

2.ヒグマは偉大なけもの、カムイ、山親父、その共存策 

 明治前には北海道のほぼ全域がヒグマの巣窟で5千頭も生息していたと見られるが、それから150年後の現在は生息域が全道面積の半分となり、生息数も2千頭(約1,900頭(出産前)〜2,300頭(出産後))ほどに減少した。

 自然の元締め

ヒグマはアイヌがカムイ(神)と崇め、開拓民や山子(樵夫)が山親爺と畏敬していたが、山で見るヒグマの成獣はやたらと猛ることなく威風堂々としていて、見るものをして羨望を感じさせずにおかない偉大な獣である。ヒグマは時に里に出没もするが、根拠地はあくまで自然度の高い環境の土地であり、ヒグマは正に自然の元締め的獣である。

 共存できる

ヒグマの多くが必ず人を襲い害するのであれば共存などできないが、人を襲うヒグマの存在率は1000分の1頭以下であり、それも人の対応次第で予防し得ることが多い。したがって、人とヒグマは互いに種族が続く限り共存していくべきであると言うのが私の理念である。

 自然の霊力

ヒグマは自然の豊かな場所を選んで生活しているので、ヒグマを野生で残し続けることは、北海道固有の自然を一括して残し続けることにもなる。ヒグマの生き様は深淵である。したがって、ヒグマと共存していくことで、人はヒグマそのものから、あるいはヒグマの棲む自然から人が受け得る精神的効用、−−これは自然が宿している霊力だが、それは絶大であり、いかに科学や宗教が発展しようともそれで代償し得るものではない。そしてこれは人が健全な自然観や人生観を保持していく上にも不可欠なものである。 

 森林面積の1割を保護区に

 まだ、我が国ではヒグマとの共存策は全く図られていないが、北海道の森林面積の1割、具体的には大雪山地23万ヘクタール・日高山地25万ヘクタール・知床山地8万ヘクタールの総計56万ヘクタールをヒグマを含めた総ての自然の保存地として自然の摂理にまかせきった状態で残すべきである。そしてこのような自然を未来永劫に子々孫々に残し伝える施策を今講ずることは、現代に生きる我々の当然の責務ではないだろうか。

 

3.ヒグマは地球の一員 生態 (とは生活状態のこと)  

 羆(ヒグマ)の生態(生活状態)をご紹介しよう。  羆は1年を1区とした生活型の獣で、その1年は穴に籠もる越冬期と山野を跋渉して過ごす活動期とからなる。 越冬期は11月末から翌年の4月末までの4〜5ヶ月間で、山の斜面に掘った横穴に籠もり、時々雪や土を舐めるだけの絶食状態で過ごす。しかし活動期に充分な養分を体に貯め込んでいるので決して窮乏の生活ではない。

 出産は冬籠もり中に

それどころか妊娠中の雌はこの間の1〜2ヶ月に子を1〜3頭産み母乳で育てる。1つ穴に一緒に籠もるのは育子期の母子だけで、他は単独で籠もる。

 北越雪譜   

 民話に「羆が夏に蟻の巣を暴き出てきた蟻を掌で叩き潰し、掌に塗り込んで、冬に穴の中でこれを舐めて飢えをしのぐ」というのがあるが、これは穴熊を獲り胃を調べると、時に舐めり飲み込んだ手足の剥離した皮膚が入っているのと、羆が蟻を非常に好んで食べることからの作話である。 

 発情期

 羆の発情期は5月下旬から7月上旬で、育子中の母熊を除く3歳以上の雌雄が発情し、雄はこの期間だけ精子が多量に生産され、雌もこの間だけ排卵する。孤独を好み同族同士の遭遇すら嫌う羆もこの間だけは番となる。羆の年齢は歯のセメント層に出来る年輪を数えて分かるが、雌雄とも27歳前後まで発情する。

 新生子

 新生子は体長25cm・体重500gほどだが、それが最大に成長すると雄は体長2.5m、体重は400kgに、雌は体長1.9m、体重は200kgにもなる。道内で捕獲された羆の最高齢は雌の34歳で、人では65歳に相当する。 

 親子の別れ

 母熊は子が1歳ないし2歳過ぎると子を自立させるが、それは厳しいもので、母を慕って付きまとう子をいさめるように吠え追い払う。幾度かそれを繰り返すうち、ついに子は母との生活を諦め母を幾度も幾度も淋しげに見やりながら立ち去っていく。

 雑食性

 羆は食物が雑食性で草類や木の実、蟻や鳥獣類の死体の他、時に鹿を襲って喰ったり、羆同士闘争して倒した相手を喰うこともある。羆が水芭蕉を好んで食べるようにいわれているがこれはザゼンソウ(座禅僧)の誤認である。

 ※羆が好んで食べるのはザゼンソウの方で、ザゼンソウに比べると羆は水芭蕉を稀にしか食べない。水芭蕉は鹿が好んで食べるので、水芭蕉の食痕については、羆によるものか、鹿によるものか、足跡・爪痕・偶蹄跡などでの吟味が必要である。(※2007年1月追記)

 生活地

 羆は海岸付近から2千m以上の高山までも生活地としており、特に高山の裾野にいる羆は7月頃から山岳地の消雪を確かめるように上がってきて、好物のハクサンボウフウやチシマニンジンやハイマツの球果(種)や高山性のナナカマドの実などを貪り喰い、10月の降雪で積雪が30cmを越し手で雪を掘っての草類の採餌が困難になると、雪の無い低地えと下がり、コクワや山ブドウやドングリを飽食し、冬籠もりに備える。

 縄張り、行動圏

 羆は主要な餌場や休息地や越冬地は占有権(縄張り)が明確で、他の個体の侵入を拒むが、それ以外の行動圏は互いに遭遇しないようにして共用している。活動期の羆の1日は採餌・徘徊・休息などで、母獣はこれに育子が、発情個体はこれに発情行動が加わるが、羆はこれらの行動を安心できる所では昼夜の別なく行うから羆は決して夜行性の獣ではない。

 遊泳の名手

 羆の体温は38度ほどだが、全身が防寒性の強い体毛で被われしかも汗腺が少ないため体熱がこもるのか、水浴びが好きで寒風吹き荒む日でも水浴びをする。だから遊泳も巧みで、明治末に羆が道北の天塩の海岸から利尻島まで19kmも泳ぎ渡った記録がある。 羆はアイヌが「カムイ(熊の神)は聞き耳(聴力に優れている)」というだけあって、聴力に長けているが、視力もまた闇夜に水中の鮭や鱒を岸辺から狙い飛び込んで手で掴み得るほど優れている。

 

4.アイヌの羆(ヒグマ)観

 アイヌは多神信仰でいろいろな守護神支配神の他に、地上の自然物も総て天上に住む神々がアイヌに贈物を届けに訪れた仮の姿(化身)と信じていた。神達は普段は天上の神の国(カムイモシリ)でアイヌと同じ姿で同じような生活していると考えていた。

 だから羆も天上の神が羆の姿に化身したもので、神は羆の頭に宿り、アイヌに肉などを届けにきがてらアイヌの生活ぶりを見に訪れたと考えていた。神はアイヌが為す儀礼で幾度でも再生しえると信じていた。

 アイヌにはこのような信仰とともに狩猟という観念もあり、出猟前に火の神(アベウチカムイ)と家の神(イショブンギョカムイ)に「これからカムイ(羆)をお迎えにまいります。山におられる猟の神(ハシナウカムイ)に貴方様から多くのカムイ(羆)に巡りあうことができますように、またカムイ(羆)が暴れずにおとなしく迎えられますようお伝え下さい」と必ず「カムイノミ(神への祈り)」をした。

 アイヌの羆猟には羆が1年を1区とした生活型で、その1年は穴での越冬期と山野での跋渉期とがあるために、これに合わせての穴熊猟と出熊猟とがあった。猟では弓矢や槍を使用したが、出熊猟の場合はもっぱら熊道に、人が弓矢を射らなくとも、張り糸に羆が触れると矢が自動的に発射する仕掛け弓(アマックウ)を設置する方法が行なわれた。 もちろん羆を倒すために今で言う「矢毒」が使われたが、アイヌは決してこれを毒とは言わなかった。神に心良く酔って頂くための物、「スルク」と言い、羆猟には「トリカブトの根」や「アカエイの尾にある毒針」を用いた。

 アイヌが羆を射るとカムイは徳のあるアイヌか否か即断し、徳のあるアイヌと分かればカムイが自らその矢や槍を受け、スルクに酔いながらアイヌと我が身の由来を夢見ながら、アイヌに贈り物を渡すという。アイヌはその贈り物を受け取った後、その場に応じて、神に感謝し神の更なる地上への再来を願い、神に贈り物を与えて神の世界に戻って頂く儀礼を行った。そうすることで、神は神として天上で再生し神国でより豊かな生活ができると考えた。

 実際は「ウンメンケ」と言って神が宿っていると見ていた「頭」に飾り付けをし、イナウ(木棒の一端をカール状に削った棒、木幣)を作り、呪文を唱える儀礼を行った。頭はその後も丁重にヌササン(祭壇)に祭られ続けた。

 また春の猟で子熊を生け捕った場合には、カムイが子熊の姿に化身してアイヌの元に長期滞在してアイヌの生活の一部始終を見にきてくれたと解し、コタン(部落)として名誉なこととし、神であるカムイがコタンにいる間は疫病も飢饉も発生しないことが保証されたとし、子熊が1歳ないし2歳になるまで我が子以上に大切に育てた後、盛大な熊送りの儀礼(イオマンテ)を行った。これが後に「熊祭り」と言われる儀礼である。

 アイヌは羆の眼球や耳鼻舌の軟骨や脳などを「フイベ」と称し生で食べた。これは羆のカムイが有する優れた視力聴力嗅覚知能やチャランケ「勝敗を決する議論」に勝つためなど、羆の優れた性能にあやかるためであった。要するに、羆送りの儀礼はカムイに対しカムイからの贈り物に対する感謝の意志表示とカムイの優れた能力にあやかることとであり、その思想の根底はアイヌとカムイの相互扶助である。

 

5.鉈の携帯は人と熊との仁義  

 北海道では現在約2千頭の羆(ヒグマ)が全道面積の半分の地域に生息しているが、この羆達をいつまでも野生で生かし続けるためには、まず羆による人身事故の防止が大切である。そこで羆が人を襲う原因とその対策についてご紹介しよう。 残念ながら稀に羆は人を襲うことがあるが、それには必ず理由がある。北海道で1970年から1998年までの、この29年間に発生した羆による人身事故は44件。この内16件が猟師の事故で、銃撃失敗後の深追いに対する羆の反撃によるもの。 一般人の事故は28件で、この内死亡は9件である。一般人を襲う羆は子連れの母熊(8件)か精神的に不安定な2歳から4歳(4歳は稀)の若熊(19件)であり、1歳以下の幼獣や単独の成獣が一般人を襲うことはまずない。 多くの人が「羆は皆人を襲う可能性がある」との先入観をいだいているがそれは間違いである。そのことは北海道に約2千頭の羆がいるが、この29年間の羆による一般人の事故は28件。この結果から1年間の事件平均発生率は1件となる。要するに一般人を襲う羆の存在率は2千分の1頭ということである。これで人を襲う羆はいかに少ないかお分かりいただけたと思う。

 人を襲う原因は3つ

 さて、羆が人を襲う原因は3つに大別される。

 1,人を食べる目的で襲うことがあり(28件中4件)、この場合は人を執拗に攻撃し、倒した人間をその場で喰うこともあるが、多くは己の安心できる藪の中や窪地や小さな沢地などに人を引きずり込んだり、衣服を剥ぎ取って裸にしたり、遺体に土や草を被せて覆い隠したりするが、穴を掘って埋めたりはしない。食べる部位は先ず筋肉で、巷に言われている内蔵から喰い始めるというのは誤りである。家畜や鹿、羆同士闘争し倒した相手を喰う場合も同じで、頭と手足の末梢部は喰い残すのが普通である。

 2,戯れ苛立ちから襲うこともあり(3件)、襲う羆は2,3歳の若熊に限られている。この場合は頭を下げ毛を逆立て半ば白目を出して上目ずかいに人を睨みながらにじり寄り、「ファ!、ファ!」と威嚇しながらちょくかい掛けてくる。

 3,人をその場所から排除するために襲うことがあり(21件)、その理由は、不意に人と出会ったときの不快感からの先制攻撃や、子連れの母熊が子を守るための先制攻撃がある(6件)。この種の事故を予防するには、鈴や笛を鳴らして歩くと良い。

 また人が持参している食物や作物家畜などの入手、あるいはすでに確保した物や場所を保持し続けるのに邪魔な人間を排除するために襲う場合もこれに含まれ(15件)、それには越冬穴の存在に人が気ずかず穴に近ずいたために、穴から羆が飛び出し襲ってきたというのもある(5件)。

 時季により襲い方がちがう

 人に対する羆の襲い方は時季により2つに分けられる。2月中旬以降の冬籠もり末期と冬籠もり明け直後は、立ち上がる体力がなく這ったまま主に歯で攻撃し易い部位をもっぱら囓る。これ以外の時季は立ち上がって手の爪で攻撃する。

 死んだふりは誤り

 人を襲う羆に遭遇するか否かは確率論の問題だが、羆の棲場に入る時は、鳴り物と鉈を携帯すべきである。自然にない音を出すことで遭遇による事故は予防できるし、また、たとえ「人を襲う羆でも人から鉈や鉄棒で積極的に反撃されると退去する」ことは多くの事例が示している。死亡した九件はいずれも素手や柄の長い鉈鎌で羆に抵抗し抱きつかれて殺されたものだ。「死んだ振り」をすれば羆は襲わないと言うのは全くの誤りで、アイヌの口承にもそういう話はない。

 人が無防備で羆の領地に入り羆に殺されれば、またその羆も殺されるのが通例。自然の元締めである羆達にそうゆう迷惑を掛けてはならない。 


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