木古内町の人身事故2件


1999年に木古内町で発生した同一ヒグマによる人身事故2件

  北海道野生動物研究所 門 崎 允 昭

 Brown bear attacks twice in Kikonai, South-western Hokkaido. Masaaki Kadosaki (Hokkaido Wildlife Laboratory , 3-8 22 Atsubetsuminami, 004-0022, Japan). J. Jpn. Wildl. Res. Soc. 25:

- (1999).

On May 10, a 47 year old fisherman was killed and eaten by a sole, 2 year 3 month old male bear. On the following day in the same area, two women (30 and 50 years old) were out collecting edible wild plants when they were attacked and wounded by the same bear that killed the fisherman.

The bear had clearly eaten the fisherman's facial, head and throat muscles, right arm, right pectoral muscles and ribs. The facts that the bear had attacked, dragged the man to a comfortable place and then ate, suggests that the bear's attacking purpose was for food.

The two women had come within a few meters of the bear and were attacked by the bear when trying to flee. Both women were injured in the head region. The first woman attacked was the 50 year old woman. She fought off the attack by repeatedly beating the bear with a stick. The bear then attacked the younger woman but was astonishingly driven off when the elder woman produced a large sound with her car horn. The bear had evidently attacked the women with the purpose of repelling them from his nearby food source; the fisherman's corpse.

In the past 30 years, the incidence of bear attacks on people, other than hunters, has been limited to either sole young bears or dam with offspring. The young bears were mostly two or three years old, however in some rare cases, the bear has been four years old. The causes of these attacks may be divided into three categories, i.e. to eat, to repel or to play. The incidents mentioned above fit within these categories. In the case of the fisherman, it may have been possible for him to have safely escaped if he had repelled the attack with a hatchet that may be carried legally.

 Key words : Ursus arctos , attacks on people  

緒 言

 筆者はヒグマ(Ursus arctos)との共存は人身事故の防止が前提との観点から、その実現を図る方策を確立するために、1970以来北海道で発生したヒグマによる人身事故を逐一調査検証し事故の実態を記載しその原因を考究し、予防と万が一熊と遭遇し、熊に襲われた場合の生還策を提起してきた(門崎1972, 犬飼・門崎1985、門崎・河原1991、門崎・河原・小澤1995、他)。しかしいまだ熊と遭遇しうる可能性がある場所に入るのにも関わらず、筆者が提起しているその策を実施しないために、遺憾ながら無念にも命を失うという事例が後を絶たない。1999年に木古内町で同一ヒグマによる人身事故が2日間に2件発生した。最初の事件では一人で渓流釣りに出かけた男性が2歳3ヶ月齢(ヒグマは2月1日を誕生日と仮定する)の雄熊に殺され体の筋肉部を一部食われた。そしてその翌日には同地域に山菜取りに入った婦人2人がやはりその熊に襲われ負傷した。筆者は事件後所管の木古内警察署で事故の記録書を参照させていただくとともに、被害現場を北海道猟友会木古内支部長の大野五公(ユキタダ)氏(昭和6年生れ)の案内で実見したので、ここにその事件の実態を記載し、従来の知見と比較する。

 

事件の経過と考察

第一の事件

 被害者のO氏(47歳)が熊に襲われ殺され、体の一部筋肉を食われた事件である。0氏が熊に襲われその死体があった場所は、木古内町管内の木古内川の支流「トンガリ沢」をその本流との出会から距離にして約350m遡った左岸際の水深10cm程の流水中である。現場は国有林で檜山森林管理署木古内事務所の「170林班そ小班」で、昭和10年(1935)植栽の杉林である。

0氏は5月8日13時頃一人で釣りに行くと函館の自宅を自家用車で出たが、夜になっても帰宅せず家人から警察に捜索願いが出された。翌9日の朝トンガリ沢林道を巡視中の警察の車に午前7時半頃、第二の事件の被害者が運転する車が出会い、警察では婦人2人が熊に襲われたことを知り、0氏が熊に襲われた可能性を仮定し猟師と警察が、婦人が襲われたその場所に午前9時頃捜索に入った。

  その結果、林道から左手(林道の奥に向かって)に60m程、杉の造林地を沢に向かって入ったところで、熊を発見し弾丸10発程を撃ちその熊を射殺した。その位置は0氏の死体から40m程離れた地点である。0氏の死体が発見された場所は流水幅6m、水深10〜20cm程の左岸の端で、岸辺際に縦・横・高さがいずれも40〜50cmの岩が一つあって、その岩と岸辺の間に頭部を下流側に、足を上流側に、仰向けの状態で足部が流水に浸かった状態で0氏は倒れていた。筆者が現場を訪れた際、同行した小田島護氏は、0氏が着ていた焦げ茶色のカッターシャツが、熊に裂かれ脱がされたのがその岩に引っかかっているのを見つけ回収してきた。遺体があったその直ぐ左岸は、傾斜30度、斜高5mの土崖で、その直ぐ上に直径45cm程のイタヤカエデAcer monoが沢に張り出ていて、その根元に幅1m、長さ2m, 深さ1m程の自然にできた窪地があり、熊は獲物である0氏を食害してはそこに潜み獲物を監視していたものである。付近には熊の糞が排泄されていた。

 0氏はゴム製の靴とズボンが一体となった肩ひも付きの釣り用の防水ズボンを履いていたが、その両足の靴の部分が熊に曳きちぎられていたのと、上半身の着衣がいずれも頭方向にずり上がっていたことから、熊は0氏を沢中で襲い倒した後(その場所は特定できないが、死体があった場所の近くであろう)、己が安心できる場所(死体があった場所)まで、0氏の靴の足部をくわえて引きずってきたことは確実である。0氏は体重70kg,身長174cmである。遺体には僅かながら草類が被せてあった。

 熊が人を襲う原因は1:食べるために襲う、2:排除するために襲う、3:戯れ苛立ちから襲う、の3つに大別されるが、「食べるために襲う場合」には、これまでの知見から「1:襲ったその場で食う。2:食わずとも死体を己の安心できる場所に移動する。3:死体に草などを被せる。といった所業の全部またはその一つ以上を必ず行うのが特徴である(犬飼・門崎1985、門崎・河原1991,他)。今般の熊はこの3つの所業を同時に行っていたから、少なくとも0氏を倒した時点でその体を食物と見なしたことは間違いなく、襲った初期の動機も食うためと解釈して妥当であろう。

 

被害者0氏の身体の損傷状況

 ヒグマが人を食害する場合の身体の食害部位は頭皮筋・鼻隆部・顔面筋・耳介・胸部筋・臀筋・上下肢筋・陰部・会陰部など身体の筋部や突出部が主体で、体幹部臓器の食害は極めて希であることも既に報告したが(犬飼・門崎1985、門崎・河原1991,他)、今般の0氏の身体の損傷部位もこの範疇であった。すなわち熊に食われたことによる身体の欠損部は頭顔部筋肉欠損、右眼球欠損、両耳介欠損、頸部前面の筋肉欠損、右上肢欠損、右胸部の筋肉が肋骨とも欠損、右肺の一部と心臓が欠損(腹部も含めて他臓器は総て存在する)していた。また左上腕外側部と両下肢の大腿部前面の下方部と内側部、それに右下腿部前面の上半部とに熊の爪による刺創痕が多数あった。両足部とも水に浸かり漂白化し、左足背の筋部は熊に食われて欠損し、第1〜第3趾の腱が一部露出していた。死因は外傷性ショツク死である。

 

第二の事件

 南谷澄子氏(ミナミヤスミコ、50歳、檜山管内上ノ国町北村61在住、)、1999年11月8日電話で談。

アズキナ、ゼンマイ、アイヌネギ採りに午前7時過ぎに現場に入林する。山には常に鈴や笛を持参する。杉林を通り山菜地へ向かう途中、疎林で林床まばらな明るい場所で何か後ろに気配を感じたので、振り向くと約3m後ろに熊が立っていた。後ろからついてくる若狭さんに「熊だ」と叫ぶや否や、熊が跳びかかってきた。一瞬気を失ったのか気が遠くなる。気づくと泥濘地に足を取られ、山地斜面に倒れかかったとたん、熊が後頭と後首を噛んだ。もがき持っていた棒(杖)を無我夢中で振り回したら熊が離れた。その直後熊は若狭さんに向かって行った。車に戻り若狭さんを乗せて自分で運転し病院に行く。途中林道で巡回中の警察の車に出会い、熊に襲われたことを告げた。

 若狭里栄子氏(39歳)は、南谷さんの「熊だ」という叫びに驚いて、逃げる途中路肩斜面で俯せに転んだところに、熊が襲い掛かってきた。頭頂付近を噛まれその部分の頭皮を噛み取られる。南谷さんが、車のクラクションを鳴らしたら、熊は何か黒い物(頭皮?)をくわえて走り去った。

 前日は当現場よりもさらに山よりの場所に山菜採りに入ったが、熊には出会っていない。

 この第二の事件で熊が人を襲った原因は、食物として確保した遺体を保持し続けるために、不覚にもそこに侵入してきた二人をその場所から「排除するため」に襲ったことは間違いない。

 

総 括

 筆者は熊が人を襲う原因は1:食べるために襲う、2:排除するために襲う、3:戯れ苛立ちから襲う、の3つに大別され、「食べるために襲った場合」は特異性として、「1:襲ったその場で食う。2:食わずとも死体を己の安心できる場所に移動する。3:死体に草などを被せる」といった所業の全部またはその一つ以上を必ず行うのが特徴であることを公表してきた。また人を襲う熊は、猟師の場合は己を銃で攻撃する者に対する反撃であるから、熊の年齢や子連れの有無に関係ないが、猟師以外の一般人を襲う熊は「子連れの母熊か、2〜3歳の若熊あるいは極めて希に4歳のいずれも単独個体に限られていること」も述べてきた。そして「人から鉈や包丁で熊が痛さを感じるような反撃を受けると、熊が人を襲うのを止め熊が退散すること」をも公表してきた(犬飼・門崎1985、門崎・河原1991,他)。 今般の熊は続けて2度にわたり人を襲ったが、その原因は、最初は「食うためであり」2度目は「排除のためである」。しかも襲った熊は2歳の単独個体であり、その食害部位をも含めて、今回の事件の顛末は総て従来の知見の範疇であることも明らかとなった。もし0氏が鉈を携帯していて、それで反撃していれば生還しえたはずである(犬飼・門崎1985、門崎・河原1991,他)。

 

謝 辞

 事件発生の初期情報を下さった函館市の西村孝氏、資料閲覧を許可された木古内警察署長の北森繁氏、同次長の斉藤郁夫氏、現場にご案内頂いた北海道猟友会木古内支部長大野五公氏、調査にご尽力頂いた北海道新聞木古内支局長の奥津義広氏、調査に同行された北海道ヒグマ研究所長小田島護氏、現地国有林野図を提供された檜山森林管理所木古内事務所管理官井上純氏に深謝する。

引用文献

犬飼哲夫・門崎允昭. 1985.北海道における近年の野生ヒグマによる人身事故について(1).

北海道開拓記念館研究年報、13: 85-103.

門崎允昭. 1972.滝上町のヒグマの被害について.北海道開拓記念館研究年報、1: 1-4.

門崎允昭・河原淳. 1991.野生ヒグマによる人身事故の防止対策.森林野生動物研究会誌、 18: 50-66.

門崎允昭・河原淳・小澤良之. 1995.ヒグマの越冬地での安全対策.森林野生動物研究会誌、 21: 23-29.


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