林業と羆



以下の文章は北海道森林管理局で「林業と羆」というテーマで実施した安全管理研修のテキストの全文です。



 林 業 と 羆 (2005. 4.23)

  国有林野事業での「安全管理」としての羆による「人身事故対策」

      北海道野生動物研究所所長
       農学博士    門 崎 允 昭

 

1.<羆の実像>
 羆(Ursus arctos)は日本では陸棲最大の獣で、アイヌがカムイ(神)と崇め、開拓民や山子(樵夫)が山親爺と畏敬していたが、山で見る羆の成獣は威風堂々としていて、見るものをして畏敬を感じさせずにおかない「緊張感ある自然」を創出している獣である。羆は夏には無立木地の高山帯や時に里にも出没もするが、根拠地はあくまで樹林地(自然度の高い環境「植生多様な」の土地)であり、羆を野生で残すことができれば、必然的に北海道の自然を一括して残せるという点で、羆は生態系の頂点に位する正に自然の元締め的獣である。羆あるいは羆の棲む自然から人が受け得る精神的効用、これは自然の霊力だが、それは絶大であり、いかに科学や宗教が発展しようとも他で代償し得るものではない。実際歪みが極限に近い現社会に生きる我々は野生動物の生き様を鏡とし、我々の生き様を是正していかなければ、人間社会は精神面から破綻しかねないと私は強く思う故に、野生動物、ひいては総ての生物と人類がこの大地を共有していくことの必要性を唱えたいし、またそのような自然を子々孫々に残し伝えることも現代に生きる我々の当然の責務であることを主張したい。

<自然を育む林業>
 動物は基本的に食べ物「有機物」、呼吸「酸素」、安息場所「休息地(人は家屋)」を植物に依存している。植物は呼吸「炭酸ガス」、肥料「排泄物、死体など」を動物に依存している。林業は広義には樹を主体とした植物で経済活動を行うことである。したがって、植物と動物は互いに利用し合う共生関係にあるので、林業の振興には自然界での調和(共生)が必須である。最低限の調和(共生)を図るために次の3点をぜひ実施して戴きたい。
 1:植林する樹の本数の約2割を最も多くの動物達が食べ物としているドングリ類を、苗木や苗木がない場合は種実でいいから、造林地の中に他の樹の間に混植するとこ。
 2:育木のために樹に絡んでいるヤマブドウやコクワのつるを除伐しているが、これらの実は多様な動物の主要な食べ物であるから止めること。
 3:樹間の草地も微生物や動物の棲み場であるから、草刈りもやり過ぎないこと。枯損木や倒木や枝打ちや枝払いの残骸も動物の餌場や生活地となるので放置しておく。

2.<羆の由来>
 羆は現在日本では北海道にしかいないが、3万年ほど前までは本州や九州にも羆がツキノはグマと共に棲んでいた。羆はアジア大陸で今から90万年前ないし50万年前に、羆より少し小形のエトルリアグマから進化したもの。世界で最古の羆の化石は中国の北京の西南約40キロにある、かの有名は北京原人が発見された周口店の50万年前の地層から出土したもの。日本へは氷河時代(本州以南には20万年前〜13万年前に「海水面が現在よりも140m低下」、北海道には7万年前〜1.2万年前「海水面が現在よりも70m低下」)にアジア大陸から移住してきたものである。

3.<北海道での羆の生息域と生息数>
 明治前には北海道のほぼ全域が羆の巣窟であったが(生息数は4,500〜最多で5,500頭と推定)、それから150年後の現在は生息域が全道面積の半分となり、生息数は1,900頭(12月末、子が生まれる前)〜2,300頭(3月、子が生まれた後)に減少した。

4.<羆の生活>
 羆は1年を1区とした生活型の獣で、その1年は穴に籠もる越冬期と山野を跋渉して過ごす活動期とからなる。 越冬期は11月末から翌年の4月末の間で、山の斜面に掘った横穴に籠もり絶食状態で過ごす。雌はこの間に子を生み育てる。発情期は5月下旬から7月上旬で、雄はこの間だけ精子が多量に生産され、雌もこの間だけ排卵する。年齢はセメント層の年輪数で分かるが雌雄とも27歳前後まで発情する。母は子が1歳ないし2歳過ぎると自立させる。羆は雑食性で、時に鹿を襲ったり、羆同士闘争し共食いもする。主要な餌場や休息地や越冬地は縄張りとするが、他の行動圏は互いに遭遇しないようにして共用している。

 ヒグマが人の食物に食経験がなくても強く執着することがあるが、これは本種が雑食性で食域が極めて広いためで、よく言われるような自然界の餌不足が原因ではない。

5.<人身事故とその対策>
 私はヒグマとの共存は人身事故の防止が前提との観点から、その方策を確立するために、1970年(昭45)以来北海道で発生したヒグマによる人身事故を逐一調査検証し、その予防と万が一熊に襲われた場合の生還策を提起してきた。 北海道では「山菜採りができるような場所は熊と遭遇する可能性があること」を自覚しなければならない。そして熊による人身事故を避け生還するためには、熊の出没地に入る時は「保険に入ったつもりで鳴物と鉈」を携帯することである。猟師以外の一般人を襲う熊は、「精神的に不安定な2〜3歳(希に4歳)の若熊か、子を連れた母熊」である(1件のみ8歳の雄)。
鳴物で遭遇による被害を予防できる。また、万が一熊が襲って来た場合には、「鉈で死にものぐるいで、熊のどこでもよいから叩きつける」ことだ。過去の事例から、死なずに生還するには「反撃以外ない」ことを自覚して欲しい。 熊は人から反撃されて「痛い目に遭うと、必ず攻撃を止め」逃げている。  熊除けスプレーは有効距離が4m以内であり、熊はそれよりも離れた地点から、瞬時に襲いかかるからスプレーは通用しない。北海道でこのスプレーで「襲ってきた熊」を撃退した事例が1つもないことも知ってほしい。熊の棲み家では「鉈と鳴物を持ち歩くことが生還する」ための鉄則で、これは越冬期の穴熊による人身事故対策にもいえることで、これを実行すれば熊を恐れることはない。

6.<羆が人を襲う原因>
 羆が人を襲う原因は三つに大別される。1:人を食べる目的で襲うことがある。2:戯れで襲うこともある。3:人をその場から排除するために襲う。理由は、遭遇による不快感からの先制攻撃や、母熊が子を守るための先制攻撃。人が持っている食物や作物家畜などの入手、あるいはすでに確保した物や場所を保持し続けるのに邪魔な人間を排除する。これには越冬穴の存在に人が気ずかず穴に近ずいたために、穴から羆が飛び出し襲ってきたというのもある。

7.<人を襲う熊の存在率>
 多くの人が熊は総て人を襲うように考えているが、決してそうではない。
 猟師を熊が逆襲するのは保身のための防衛であり、これは当然一般人の事件とは異質で同一視できず、切り離して考えなければならない。それでは一般人を襲う熊の存在率はどのくらいかといえば、それは約1/2000頭である。その算出根拠は次の理由による。最近35年間に一般人が熊に襲われた件数は36件である。すると、年平均件数は(36件/35年=)約1件である。そして、この35年間の熊の生息数は年によって多少の変動はあるにせよ、ほぼ2,000頭と推定されることから、1年間に一般人を襲った熊の存在率は(1件/2,000頭=)約2,000分の1頭となることによる。これで、人を襲う熊はいかに少ないかお分かりいただけたと思う。これとても、人が積極的に鳴り物を鳴らすなどの対応を講じていればもっと人を襲う熊の比率は小さくし得たはずである。

8.<人身事件の内訳>
 35年間(1970〜2004年)  総件数66件
   自損は5件あり、実際の事件は61件となる。
   猟師25件 : 一般人36件

「一般人の事件36件の内訳」
 原因別
 食害9件、戯れ4件、排除23件→遭遇11件
            その他12件→穴の確保  5件
                    食物の入手 2件
                    土地の確保 1件
                    子の保護  4件

営林関係者の事件16件(年平均0.5件)→民間関係 6件
                         公務関係10件

9.<人身被害を最小限にする具体策>
 熊による人身事故を避け生還するためには「北海道には熊が居て当たり前」という自覚と、万が一に備えて「鳴物と鉈」の携帯が必須条件。

 −熊(羆)と遭遇する可能性がある地所での実用的行動(これは私が実行している方法)−
 必ず軽い小型の笛(ホイッスルが最も良い)と鉈を携帯する(武器として実用的な物であること)。刃渡り20〜25cmで、振ってみて手が疲れないもので、しかも軽過ぎないもの。
先ず、勇猛心を持ち、常に熊と遭遇した場合の対処法を頭に入れ、時々それを思い浮かべながら行動すること。

具体的には
1:軽い小型の笛(ホイッスルが最も良い)で5分に1〜2度ぐらい吹いて進む。常時音の出る物(鈴、ラジオなど)で音を立てて歩くと、熊の出現など辺りの異常が感知し難いので、要注意である。時々声を出しながら進むのもよいと思う。
2:辺りを充分注視しながら進む。見通せる範囲はもとより、その先の死角部分の手前では、特に歩調をゆっくり遅めて、注視すること。
3:万が一熊に出会ったら(20m以上距離がある場合)、走らないで、熊の様子を窺いながら、熊から離れること。
4:距離が10数mないし数mしかない場合は、その場に止まりながら、話しかけること(最初は普通の音声で、それからは大声で)。そして熊が立ち去るのを待つ。自分も少しずつその場から離れてみる。熊の通路を自分が邪魔していることもあるので、熊に話しかけながら、ゆっくりと退去し横に避けてみる。

以下は私は未経験である。
5:側に登れる木があれば登り逃げる。 襲ってきたら死にものぐるいで鉈で熊の身体のどこでもよいから叩く。
      これ以外に「有効な生還策」はないと思う。

10.<爆竹・投石・大声・呼子で脅し生還した事例>
 「人に襲い掛かろうとしている熊に爆竹、投石、大声で脅すことは熊をかえって興奮させて、人への攻撃を誘発する」と想像による空論をいう人がいるが、これは誤りである。現に「人に執拗に付きまとう熊」、「人を襲おうとしている熊」、または「襲いかかって来た熊」、「人を襲い人に反撃されて一度人から離れた後、再度人に掛かろうと人の隙を窺って寄って来た熊」を爆竹・投石・大声・呼子を吹いて撃退させた事例があり、これらも有効な手段である。しかし、確実な生還の条件はやはり「鉈での反撃」である。
爆竹 1999年10月10日午前9時頃に三笠市管内の桂沢湖で釣人に執拗につきまとった2歳熊を爆竹で撃退した例がある。爆竹を携帯し、熊に執拗につきまとわれた場合には爆竹を鳴らすのも有効な一法である。
 投石で撃退した事例は、上ノ国の事件(1991年5月12日、事件No.43、熊は多分2〜3歳)がある。また日高山脈の事件の経過での事例(1970年7月26日、事件No.1)もあり、この熊は2歳6ヵ月齢の雌熊である。
大声で撃退した事例は、千歳市の事件(1976年6月5日、事件No.15、熊は2歳4ヵ月齢の雌熊)、江差町の事件(1979年9月28日、事件No.24、 多分2歳熊)がある。
呼子を大音で吹いて熊を撃退した事例は、紋別営林署の事件(1995年2月13日、事件No.47)がある。この熊は2〜3歳である。

11.<営林関係者の人身事件16件の具体的顛末>

 (1)事件No.2  1970年7月27日 士別市での事例
 襲い掛かってきた熊を手鎌で叩き、さらに鉈で叩き脅して撃退する。武山藤吉さん75歳が一人で植裁2年のカラマツ林の下草刈をしていた午後4時頃、突然40mほど先に一頭の熊(雄3歳6ヵ月齢)が現れ、武山さんには目もくれず笹原に頭を突込みながら武山さんの方に進んできたので、20mほど走って逃げたところで、つまずき前のめりに転び、起き上がろうとした途端、左臀部を囓り左肩に爪を掛けたが、起き上がる動作をしていたので熊の攻撃から逃れた。振り返ると、熊は四つん這いで口を閉じたまま鼻を突き出して来たので、手に持っていた草刈り鎌(刃渡り24cm、重さ500g)で熊の頭を思い切り叩きつけた。その瞬間鎌は武山さんの手から外れ、熊は頭に鎌を付けたまま、地面に激しく頭を打ち付けながら後退した。直ぐに鎌が熊の頭から外れたが、今度は熊はあたかも猫が鼠を狙うように、前足をかがめ顔を地面につけるようにして武山さんの方を見ていたが、熊と目が合った瞬間、熊は飛ぶように突進してきた。両者は直径20cmほどのカラマツを挟んで睨み合いになったが、武山さんは腰に鉈を着けていることを思い出し、全身に力が湧いて来るような気がした。鉈でカラマツごしに熊を叩きつけようとしたが、何度か空振りしたが、そのうち熊の鼻付近を叩いたような気がした。すると熊は急に向きを変え、4mほど離れ、口を幾度も開閉しなおも武山氏を睨むように見ていたが、氏が大声で「掛かって来るなら来い」と鉈を振り上げて熊を怒鳴りつけると、熊は幾度も立ち上がったりしたが、その中、急に飛ぶように退行し逃げ去った。襲った原因は遭遇による不快感から、その場から人を「排除」するためである。なお、鎌の刃先は1cmほど折れ、殺獲後に調べたら刃先が頭蓋に刺り残っていた。

 (2)事件No. 8 1973年9月17日 厚沢部町での事例
 営林署作業員の糸畑幸雄さん45歳は同僚5名と、刈払機で造林地の笹の筋刈中の、午前11時半頃8ヵ月齢の子1頭を連れた母熊に襲われ、そこから40mほど離れた雨裂に引きずり込まれ死亡していた。地下足袋以外衣服が破がされ全裸に近い状態であった。鉈は携帯しておらず素手で熊に対抗したらしい。
熊が人を襲った初期原因は子を保護するためにその場から人を「排除」するためと考えられるが、倒した人を熊が安心できる雨裂に移動させていることから、襲っている途中で人を食物と見なしたことは間違いない。

 (3)事件No.12 1975年4月8日 長万部町での事例
 襲い掛かってきた熊をスコップを振り回し追い払う。
営林署作業員の成田長一さん53歳は仲間2人と午前10時頃国縫川上流の稲穂嶺の尾根で毎木調査中に、不覚に熊穴の入口付近に腰まで抜かり、直ちに這い上がって斜面を登り出したところ、その穴から1頭の熊(2〜3歳の若熊である)が飛び出て来て、背後から襲い掛かり、まず右下腿後部を長靴の上から噛みついた。成田さんは咄嗟に持っていた角形長柄スコップを振り回して対抗したら、熊は次に右手背部を軍手の上から囓ったが、さらにスコップを振り回して防戦したら、熊は斜面下方に逃走した。熊が人を襲った原因は越冬穴を確保し続けるために、不意に現れた人間をその場から「排除」するためである。

 (4)事件No.13 1975年7月1日 浦幌町での事例
 熊を見て逃げる途中転んだら、熊が襲い掛かって来て、足を爪と歯で攻撃してきたが、これに気付いた同僚数名が大声で騒ぎ立てたら、熊が立ち去った。

 (5)事件No.14 1976年6月4日 千歳市での事例
 熊(雌2歳)に組み伏されている同僚の叫び声を聞き、長さ5尺の金テコ持参で、その場に行くと熊は藪に逃げ込んだが、再度熊が出て来て襲うそぶりなので、金テコで脅しつつ、ブルトーザーに戻り、エンジン駆けたら、熊はその音に驚き藪に立ち去った。

 (6)事件No.17 1976年12月2日 下川町での事例
 営林署作業員の鷲見秀松さん54歳が、不覚にも熊の越冬穴上の樹を除伐した途端、一頭の熊が雪下から飛び出し襲い掛かってきた。氏は刃渡り28cm、柄長120cm、重さ1.6kgの鉈鎌で反撃したが、熊に抱きつかれ致命傷を受け死亡した。熊は母熊で、後で8ヵ月齢の2子(雄)が穴に潜んでいるのが見つかった。
襲った原因は子の保護と越冬穴の保持のために、人をその場から「排除」するためである。

 (7)事件No.18 1977年3月31日 三笠市での事例
 営林署作業員の鶴谷覚さん45歳は仲間3人と午前の毎木調査を終え昼食中の正午過ぎに、突然7mほど下に1頭の熊(雄の若熊である)が出、樹の根本に座り込み、20分ほどこちらを見ていたが、ほどなく斜面下へ姿を隠したので、熊が下りた反対方向に下山しかけたら、その斜め方向から熊が追ってきた。驚いた4人は沢目がけて走り下りたが、その途中で鶴谷氏は転んで一回転しあぐらをかく姿勢で起き上がろうとしたら、目の前にその熊おり、突然右足を長靴の上から咬んだ。「痛い」と叫び右足を退くと今度は左足を咬んだ。鶴谷さんが「鉞くれ」を叫んだら、近くにいた同僚の浜本氏が鉞を鶴谷さんに投げ渡した。鶴谷さんはそれを拾い熊の頭を鉞のみねの部分で1回叩いたら熊が囓るのを止め離れた。鶴谷さんは立ち上がり熊としばらく(5分間ぐらい)睨み合いをしたすえ、熊が斜面下方に立ち去った。襲った原因は食物が目当で、それを持っている人間を「排除」し食物を入手するためである。

 (8)事件No.19 1977年4月7日 滝上町での事例
 越冬穴から熊(母熊)が飛び出て来たのを見て、逃げる途中転んだら、熊が首や肘に囓りついてきた。それを振り切ろうともがいている中に、右手が熊の口腔に入ったら熊は突然離れ唸りながら、幾度も穴の方を振り返りながら(穴には新生子が2頭いた)立ち去った。

 (9)事件No.24 1979年9月28日 江差町での事例
 襲い掛かったクマを第三者が大声と大鎌で脅して撃退する。山吹茂平さん79歳は正午過ぎ、娘の工藤悦子さん52歳と植裁50年の杉林で下草刈を中断して昼飯を食べていたら、突然ガサガサという音と共に1頭の熊(山吹さんによると2〜3歳の小熊だという)が山吹さんの側に出現、背に爪を掛けた(山吹さんは難聴で熊に全く気づかなかった)。悦子さんが驚いて、柄の長さ5尺(1.5m)の鉈鎌で熊を叩きつけようと大声を立てたら、熊は山吹さんから離れ藪に消えた。襲った原因は弁当目当てで、食べている者を排除して弁当を取ろうとしたものである。

 (10)事件No.25 1980年2月25日 佐呂間町での事例
 越冬穴から熊(母熊)が飛び出て来たのを見て、逃げる途中転んだら、熊が額や手に囓りついてきたので、大声で「助けてくれ」と叫んだ。これに気付いた同僚達数名が呼笛や大声で騒ぎ立てたら、熊は人から離れ、穴に戻る動作を示した後(穴には1歳過ぎの子が2頭いた)、斜面を駆け下り立ち去った。

 (11)事件No.29 1983年5月19日 置戸町での事例
 熊を見て逃げたら、熊(若熊)が襲い掛って来て俯せに倒され、爪で引っ掻かれたが、もがきながら大声を立てたら、30mほど離れた林道にいた同僚がこれに気づき、同僚も大声を立てたら、熊は離れ立ち去った。

 (12)事件No.33 1984年8月30日 広尾町での事例
 2頭の当歳子(6ヵ月齢)を連れた熊(母熊)を見て、逃げる途中転んだら、母熊が襲い掛かってきた。足を噛まれながらも、素手でもがいたら、熊が離れ藪に去った。

 (13)事件No.41 1990年10月21日 上ノ国町での事例
 本件は、五葉松を採りに行った被害者が熊に襲われ死亡した事件で、現地調査と上ノ国町役場の山崎淳一氏、桧山広域行政組合の久末善輝氏の現地での話と江差警察署(植田冨也警察署長、渡部智輝警部補)の調査を基に記載する。午前10時過ぎ、同町湯ノ岱の土肥茂雄氏(当時85歳)は、鉈と手鋸を持ち、同町湯ノ岱の民有林で生け花用の五葉松を採集しようと自転車で自宅から約400mほど離れた膳棚川に行き、川辺の草地に自転車を置いて、沢沿いに登って行った。同氏が夕方になっても戻らないので捜索した結果、翌22日午前7時頃、入林した山林で遺体で発見された。遺体発見現場は、ブナ・イタヤなどの中径木主体の天然二次林に胸高直径約30cmの五葉松が点在する林地の尾根筋である。遺体は頭を山側、足を谷側に仰向けで倒れた状態で発見された。遺体発見場所の10m上方から上は傾斜10度前後の尾根筋だが、両側の斜面は30度前後の急な斜面である。同氏は、熊から逃れようとして、この斜面上部で足を滑らし、右足首を捻挫し、倒れていた地点まで仰向けの状態で10mほど滑り落ちたと見られる。右臀部に仰向けに転んだ際に木に強打してできたと推定される内出血を伴う強い打撲傷があった。なお、熊は遺体のあった地点には来ていない。顔面の傷は氏が斜面から滑り落ちる前に熊に襲われてできたものである。遺体には、外傷が少なかった。遺留品は、切り取った五葉松とそれを包むためのビニルシートとポリエチレンの袋、ビニル紐、鉈(腰に携帯の状態であった)、入れ歯と長さ1尺の手鋸は発見できなかった。遺品の散乱状況から土肥氏は、斜面上部で五葉松を採っている時に、冬ごもりの穴を試し掘りしていた熊と遭遇し、逃げようとして襲われ、顔面を引掻かれながら、熊を振り切り、さらに逃げようとして滑落したものであろう。
受傷状況:左前頭部に熊の爪による2cmの擦過傷、右前頭部から鼻部にかけて熊の爪による6.5cmと2cmの挫滅傷、右眼窩部下部に打撲による皮下出血が見られ、右頬部にも極めて浅い傷が見られた。警察の知見では甲状軟骨が骨折していて、頸椎骨折の疑いもあるという。足部を自分で幾度か動かした形跡が土面に残っていたから即死ではないと思われる。右足根部捻挫による浮腫あり。右臀部に強打による打撲血腫あり。 加害熊:加害熊は捕獲されなかったが、遺体の近くに加害熊の冬ごもり穴の試し掘りをしたと見られる跡2箇所が残っており、その場所の選定と掘り方が未熟なことから、この年母獣から別れた若熊である。
原因考察:熊は己が既に確保した冬ごもり穴を造るその場所を保持し続けるために、その場に不意に現れた土肥氏をその場から排除する目的で襲ったものと推察される。それ故に、熊は同氏をその場から排除した後、それ以上同氏を攻撃しなかったものである。

 (14)事件No.45 1992年11月17日 遠軽町での事例
 田丸朗郎氏(54歳)が、熊(若熊)を見て逃げる途中転んだら、熊が追ってきて襲い掛かり、手を噛まれたが、声をたてもがいていたら、同僚が気づき笛を吹いたら、熊は離れ立ち去った。

 (15)事件No.47 1995年2月13日 紋別営林署作業員の事例
 襲い掛かってきたクマを同僚が呼び子で追い払う。
 山本豊造さん52歳は腰に熊除け鈴を着け仲間6人と除伐中、不覚に熊穴の入口1.5mにある柳を伐裁した瞬間、雪中の熊穴から熊(雌、2〜3歳の若熊である)が1頭飛び出てきた。逃げようとした瞬間俯せに転び鉈鎌(柄長1.2m、刃渡り26cm、重さ1.6kg)を手放すと同時に熊が体背に襲い掛かってきた。あちこち咬まれ引っ掻かれながらも素手で熊に対抗しながら、叫び声を上げたらしく、その場から約19m離れた地点にいた竹中賢さん51歳が事の異常に気づき、ホイッスル(呼子)を吹いた瞬間、熊は山本さんから離れ斜面下方に逃げた。熊が人を襲った原因は越冬穴を確保し続けるために、不意に現れた人間をその場から「排除」するためである。

 (16)事件No.58 2000年6月4日 恵山町での事例
 恵山町中浜四五番地、漁業、田中長之助さん(75歳)が植栽10年のトドマツ・スギ林(丈約3m)の下草刈りを11時半頃終えての帰り、幅約1mの小道を歩き下って来たら、20mほど先に置いてきた自転車の側に黒い塊が見え、熊(母子)だと気づいた途端、母熊が一気に突進してきて、右足長靴の甲の部分に爪を掛けたが直ぐに外れた(甲にかすり傷ついたが医者に行くほどではなかった)。さらに熊が口を開けて掛かろうとすること十数回、左手に2尺の鋸と右手に手鎌(柄長45cm、刃渡り23cm)を持っていたので、それを振り回したら熊の頭に手鎌が当たった感じがし、その母熊が瞬時に子の方に戻った。見ると子熊が寝ていて動こうとしないので、母熊もその場から離れようとしない。5〜6分熊の様子を窺っていたが、熊が動かないので、その母子熊を巻き込むように熊の側を走り過ぎた途端、また母熊が猛然と追ってきた。樹を介して熊が襲い掛かるので、鋸と手鎌を振り回し抵抗したら、また熊の頭に手鎌が当たった感じがし、母熊が子の方に戻ったので、今度は走らずに熊から離れ、自宅に戻った。14時30分ころ熊撃ちの猟師と現場に来てみたが、熊はいなかった。自転車を置いた場所は最奥人家から270mほどの地点である。
 加害熊と加害原因:加害熊は母熊である。襲った原因は子を保護するために接近する人を「排除」しようとしたもので、田中さんは積極的に反撃したことで、生還しえたものである。子熊は体長1mほどと田中さんは言うが、寝るなどの生態から4ヶ月齢と看取できる。

12.<羆の存在を知るための痕跡>
 痕跡 ヒグマの痕跡は多様で次のような痕跡が見られる。

1:足跡 人の手足跡を豪快にした感じの足跡である。ただし熊は手足とも親指が最も短い。
手足の横幅と年齢・性別 <1>手足跡の横幅が9cm以下は、1歳未満の新生子である。<2>手足跡の横幅が9.5cm以上は、1歳以上である。北海道産ヒグマの1歳以上の雄の手足の横幅は、9.5〜18cmである。そして雌は9.5〜14.5cmである。<3>手足跡の横幅が15cm以上は雄である。雌で手足の横幅が最大のものは、14.5cmである。<4>爪を除く手足の縦幅が23cm以上は雄成獣である。22cmも雄成獣の場合が多い。<5>体の大きさ(頭胴長)と手足の大きさは必ずしも一致しない。

2:糞 草類・樹の実を食べた糞で異臭がしないものや蟻を含む糞は本種である。一般に本種の糞は鳥獣類を食べた糞以外は異臭がしない。糞に人の体毛に似た毛が混入していることがある。
 ヒグマの糞は生態的に2種類に分けられる。通常の糞は形を成さない下痢糞・軟糞から、形のある定型糞までいろいろである。定型糞の場合も細長いソーセージ形のものから馬糞状のものまで、しかも一度の排泄糞で、太さ・長さが部位によって異なるなどいろいろである。希には捻れた形の糞もある。糞の直径も、冬ごもり穴を出て日があさい新生子熊の、直径1cm程のものから、成獣の直径が6〜7cm程もあるものがある。一度に排泄する糞量も、ヒグマの消化生理状態によっていろいろであるが、最多の場合でも重さは2kg程である。糞の色と臭気は食物の種類と密接な関係があって、多くの場合糞はその食物に固有な色と臭気を呈している。植物食の糞は色調も上品で臭いも香気がある。しかし、肉食時の糞は異臭ふんぷんで不快そのものの臭いがする。まず、内容物にアリ類・ドングリ類の殻・クルミの殻が入っていれば、ヒグマの糞である可能性がつよい。糞は日時の経過につれて、色は暗色になり、形・大きさ・臭気も変化する。骨を消化した新鮮な糞は黄褐色ないし黄白色だが、日が経つと白色の壁土状となる。幼獣の糞の太さはもちろん成獣に比べ細い。
 留糞(とめふん) 冬ごもり中のヒグマの直腸には、俗に留糞(止糞)と言って、穴に入る前に食べた食物や、穴の中で食べた物(敷藁や土など)が貯まっていることがある。これは石のように固いものではなく、指で圧すると容易に圧痕がつく硬さである。この留糞というのは食べた物が長時間腸に滞留している間に水分の吸収が進み、比較的硬い糞となって肛門近くに貯留したものである。しかし、新生子を育てている母熊は子の糞尿を飲み込むことが多いから、他のヒグマのような硬い留糞は普通できない。この留糞は冬ごもり穴の中に排泄されたり、穴の近くの外に排泄されたり、穴出後の徘徊中に排泄される。
 排糞場所  いろいろな所で排糞する。石や岩の上・丸太や木の上、雪(残雪)の上、道の路面など目立つ所にもする。冬ごもり穴の中に糞尿が排泄されていることも珍しくない。だが、糞尿の排泄は入り口などの隅にされていて、寝所は常に清潔に保たれている。ヒグマも希に溜糞といって、前にした糞の上や直ぐ側に再び排糞することもある。また、気に入った場所に逗留しているような場合、糞尿する場所(糞場)を決めていて、その当たりでもっぱら排糞することもあるし、やたらと付近一帯に不規則に排泄することもある。
 糞尿する時の姿勢  歩行しつつ糞尿を排泄することも珍しくない。糞が点々と落ちている場合には歩きながらたれた糞である。立ちどまって排泄する場合でも股を少しひろげたり、頭を少し下げて踏ん張ったりするが、全体の姿勢は歩行時そのままの姿勢である。

3:食痕 フキの茎の中程だけを食べた食痕は本種固有のものである。
他の食痕の場合は足跡・歯痕・糞・体毛の有無で本種のものか否かを決める。フキの葉を裏返しに放置した食痕はシカの食痕で、ヒグマは極めて希にしかそのようなことをしない。ミズバショウやバイケイソウはシカが好んで食べるが、ヒグマは希にミズバショウを散発的に食べるぐらいで、バイケイソウは食べない。

4:樹の爪跡、樹皮の剥ぎ痕 本種の爪跡は筋の下端にささくれができる。シカの角痕はささくれが上端にできる。
ヒグマは外樹皮(死んだ細胞などから成る硬い部分)を剥いでその下の内樹皮(甘皮とも俗称し、生きた細胞からなり養分がある)を時に食べる。特にトドマツの樹脂を好むようで、時に横幅10cm〜30cm、縦幅20cmから60cmも樹皮が不定形に剥がされ熊の爪痕や毛が付着したのを見る。
これら樹木の損傷は個々の樹にとっては影響甚大であるが、生態系としては自然の摂理の範疇として太古から綿々と続いてきた事象で、林業上の問題を超越した事柄と達観すべきことであろう。

5:腐枯木の暴き跡 爪痕を探し出し本種であることを確認する。

6:樹面・木板の体毛の付着 横から透かして見ると見つけやすい。
本種の刺毛は人の恥毛に、綿毛はすね毛に酷似している。鹿の毛は中が中空だが、熊は中空でない。

7:樹・木板の噛み跡 歯痕や、木樹に付着している体毛を探し本種であることを確認する。
ヒグマの手と足の爪痕は、樹皮や冬ごもり穴の土面に、3〜5本の平行痕としてつくことが多い。とりわけ、第2〜第4指趾の3本の爪痕がつくことが多い。これはこの3本の指趾が第1と第5指趾より、長いためである。爪痕の間隔は、子グマの1.5cm程のものから、成獣の5〜6cmのものまでいろいろである。クマが上り下りした樹皮で、短い爪痕は上り下りのさいに力点として踏ん張った爪痕である。そして、長い爪痕は、樹に上っている時に手足をすべらした時や樹から下りるときにできることが多い。鹿の角先痕との鑑別は、鹿の角痕は主に角を下方から上方に動かした時に傷がつくので、ささくれが上端にできることが多いが、熊の爪痕は熊が手足を上方から下方に向かって移動させた時につくので、ささくれが爪痕の下端にできる。これで区別できる。

8:樹上の棚 樹に上った爪痕や棚樹の噛み跡を確認して、風害の折れ枝と鑑別すること。

9:蔓木が絡んだ樹の折損 コクワ・ヤマブドウ・マタタビ・チョウセンゴミシなどが絡んだ樹幹が折れて蔓木がこうもり傘を少し開いたようになった状態の樹。これは本種が蔓木の実を食べるために蔓を引っ張ったために生じたものである。

10:堀跡 採食などのために土や雪を掘るが、爪痕・足跡・糞の有無を調べ本種であることを確認する。

11:越冬穴 爪痕・歯痕・糞・敷藁の有無・体毛の有無・穴の入口前に掻き出された土砂の有無、穴の付近にある笹など丈の高い草を敷藁用に本種が噛み切った痕の有無を確認する。

12:休息跡 伏した跡の草は押し倒され、そこに本種の体毛が落ちていたり、付近に糞が排泄されていることが多い。シカの体毛は直毛で引っ張ると容易に切れ、中が中空である。しかし熊類は毛は引っ張ってもなかなか切れず、中が肉眼的に中空でない。

13:放声 新生子や子グマは bya- ビャー、pya- ピャー、gya- ギャーなどと時に応じて力み、あるいは穏やかに、また時には弱々しく鳴く。新生子以外の熊が威嚇する時は uo- ウオー、guo- グオー、fu- フー、ue- ウエーなどと底力のある声を喉に響かせながらだす。
 発声以外の威嚇音 これには3つある。野生のヒグマもこの音を立てて威嚇することがある。<1>歯をカツ・カツ鳴らす。相当な音がする。<2>口の中でポン・ポンと鼓のような音をだす。<3>ゆっくり歩きながら足を地面に擦りつけて、ザー・ザーと音を立てる。



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